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※音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー
- 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
我が衣手は 露にぬれつつ
天智天皇(626年-671年) - 春過ぎて 夏
来にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山
持統天皇 (645年~702年) - あしびきの 山鳥の尾の
しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝 む
柿本人麻呂 (生没年不詳) - 田子の浦に うちいでてみれば
白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ
山部赤人(生没年不詳) - 奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の
声聞く時ぞ 秋はかなしき
猿丸太夫 (生没年不詳) - かささぎの 渡せる橋に おく霜
の
白きをみれば 夜 ぞふけにける
中納言家持 (718年頃~785年) - 天の原ふりさけみれば春日なる
三笠の山に出 でし月かも
阿倍仲麻呂 (698年頃~770年) - わが庵は 都の辰巳 しかぞすむ
世をうぢ山 と 人はいふなり
喜撰法師(生没年不詳) - 花の色は うつりにけりな いたづ
らに
わが身よにふる ながめせしまに
小野小町(生没年不詳) - これやこの 行くも帰るも わかれては
しるもしらぬも 逢坂の関
蝉丸(生没年不詳) - わたの原 八十島かけて 漕
ぎ出でぬと
人にはつげよ あまのつり舟
参議篁 (802年~852年) - 天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ
僧正遍昭(816年~890年) - 筑波嶺の 峰より落つる みなの川
こひぞつもりて 淵 となりぬる
陽成院 (868年~949年) - 陸奥の しのぶもぢずり 誰
ゆゑに
乱れそめにし 我 ならなくに
河原左大臣 (822年~895年) - 君がため 春の野に出でて 若菜つむ
わが衣手に 雪は降りつつ
光孝天皇(830年~887年) - 立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる
まつとし聞かば 今帰 りこむ
中納言行平(818年~893年) - ちはやぶる 神代もきかず 竜田川
から紅に 水くくるとは
在原業平朝臣(825年~880年) - 住の江の 岸による波 よるさへや
夢のかよひ路 人目よくらむ
藤原敏行朝臣 (生年不詳~901年頃) - 難波潟 みじかき葦の ふしのまも
逢はでこの世を 過 ぐしてよとや
伊勢 (生没年不詳) - わびぬれば いまはたおなじ 難波なる
みをつくしても 逢はむとぞ思 ふ
元良親王 (890年~943年) - 今こむと いひしばかりに 長月の
有明の月 を 待ち出でつるかな
素性法師(生没年不詳) - 吹くからに 秋の草木の しをるれば
むべ山風を 嵐 といふらむ
文屋康秀(生没年不詳) - 月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身一つの 秋 にはあらねど
大江千里 (生没年不詳) - このたびは 幣もとりあへず
手向山
もみぢのにしき 神のまにまに
菅家(845年~903年) - 名にし負はば 逢坂山の さねかづら
人にしられで くるよしもがな
三条右大臣 (873年~932年) - 小倉山 峰のもみぢ
葉 心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ
貞信公(880年~949年) - みかの原 わきて流るる いづ
み川
いつ見きとてか 恋 しかるらむ
中納言兼輔 (877年~933年) - 山里は 冬ぞさびしさ まさりける
人目も草も かれぬと思 へば
源宗于朝臣(生年不詳~939年) - 心当てに 折らばや折らむ 初霜の
おきまどは せる 白菊の花
凡河内躬恒(生没年不詳) - 有明の つれなく見えし 別
れより
あかつきばかり 憂きものはなし
壬生忠岑(生没年不詳) - 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
吉野の里 に 降れる白雪
坂上是則(生没年不詳) - 山川に 風のかけたる しがらみは
流れもあへぬ 紅葉 なりけり
春道列樹 (生年不詳~920年) - 久方の 光のどけき 春
の日に
しづ心なく 花 の散るらむ
紀友則(生年不詳~904年頃) - 誰をかも 知る人にせむ 高砂の
松も昔の 友ならなくに
藤原興風(生没年不詳) - 人はいさ 心も知らず ふるさとは
花ぞ昔の 香 に匂ひける
紀貫之(868年~945年) - 夏の夜は まだ宵ながら あけぬるを
雲のいづこに 月 やどるらむ
清原深養父(生没年不詳) - 白露に 風の吹きしく 秋の野は
つらぬきとめぬ 玉 ぞ散りける
文屋朝康 (生没年不詳) - 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
人の命の 惜しくもあるかな
右近(生没年不詳) - 浅茅生の 小野の篠原
しのぶれど
あまりてなどか 人の恋 しき
参議等 (880年~951年) - 忍ぶれど 色に出でにけり 我が恋は
物や思ふと 人の問ふまで
平兼盛 (生年不詳~990年) - 恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり
人しれずこそ 思ひそめしか
壬生忠見(生没年不詳) - 契りきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 波 こさじとは
清原元輔 (908年~990年) - 逢ひ見
ての のちの心に くらぶれば
昔は物 を 思はざりけり
権中納言敦忠(906年~943年) - 逢ふことの 絶
えてしなくば なかなかに
人をも身をも 恨 みざらまし
中納言朝忠 (910年~966年) - あはれとも いふべき人は 思
ほえで
身のいたづらに なりぬべきかな
謙徳公 (924年~972年) - 由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え
ゆくへも知 らぬ 恋の道かな
曽禰好忠(生没年不詳) - 八重葎 しげれる宿の さびしきに
人こそ見えね 秋 は来にけり
恵慶法師(生没年不詳) - 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ
くだけて物を 思 ふころかな
源重之(生没年不詳) - 御垣守 衛士のたく火
の 夜はもえ
昼は消 えつつ 物をこそ思へ
大中臣能宣朝臣 (921年~991年) - 君がため 惜しからざりし
いのちさへ
長くもがなと 思 ひけるかな
藤原義孝(954年~974年) - かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな もゆる思ひ を
藤原実方朝臣 (生年不詳~998年) - 明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほうらめしき 朝ぼらけかな
藤原道信朝臣(972年~994年) - 嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は
いかに久しき ものとかは知る
右大将道綱母 (937年頃~995年頃) - 忘れじの ゆく末までは かたければ
今日を限りの 命 ともがな
儀同三司母 (生年不詳~996年) - 滝の音は たえて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ 聞こえけれ
大納言公任 (996年~1041年) - あらざらむ この世のほかの 思
ひ出に
いまひとたびの 逢 ふこともがな
和泉式部 (生没年不詳) - めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲隠れにし 夜半の月かな
紫式部(970年頃~1014年頃) - ありま山 猪名の笹原 風吹けば
いでそよ人 を 忘れやはする
大弐三位(999年~没年不詳) - やすらはで 寝なましものを 小夜
更けて
かたぶくまでの 月 を見しかな
赤染衛門(956年?~1041年?) - 大江山 いく野の道の 遠ければ
まだふみもみず 天 の橋立
小式部内侍(生年不詳~1025年) - いにしへの 奈良の都の 八重桜
けふ 九重に 匂ひぬるかな
伊勢大輔(生没年不詳) - 夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも
よに逢坂の 関は許 さじ
清少納言 (生没年不詳) - いまはただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで 言ふ よしもがな
左京大夫道雅 (992年~1054年) - 朝ぼらけ 宇治の川霧 絶え絶えに
あらはれわたる 瀬々の網代木
権中納言定頼(995年~1045年) - 恨みわび ほさぬ袖だに あるものを
恋にくちなむ 名 こそをしけれ
相模(生没年不詳) - もろともに あはれと思へ 山桜
花よりほかに 知 る人もなし
前大僧正行尊 (1055年~1135年) - 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に
かひなく立 たむ 名こそをしけれ
周防内侍(生没年不詳) - 心にも あらで憂き世に ながらへば
恋しかるべき 夜半 の月かな
三条院(976年~1017年) - 嵐吹く 三室の山の 紅葉葉は
竜田の川の 錦 なりけり
能因法師 (988年~没年不詳) - さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば
いづくも同じ 秋 の夕暮
良暹法師(生没年不詳) - 夕されば 門田の稲葉 おとづれて
蘆のまろやに 秋風ぞ吹く
大納言経信(1016年~1097年) - 音に聞く 高師の浜の あだ波は
かけじや袖の ぬれもこそすれ
祐子内親王家紀伊(生没年不詳) - 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり
外山の霞 立たずもあらなむ
権中納言匡房 (1041年~1111年) - 憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ
はげしかれとは 祈 らぬものを
源俊頼朝臣 (1055年~1129年) - 契りおきし させもが露を いのちにて
あはれ今年の 秋 もいぬめり
藤原基俊 (1060年~1142年) - わたの原 こぎいでてみれば 久方の
雲居にまがふ 沖つ白波
法性寺入道前関白太政大臣 (1097年~1164年) - 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川
の
われても末に あは むとぞ思ふ
崇徳院(1119年~1164年) - 淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に
幾夜寝覚めぬ 須磨の関守
源兼昌(生没年不詳) - 秋風に たなびく雲の
たえ間より
もれいづる月の 影のさやけさ
左京大夫顕輔(1090年~1155年) - 長からむ 心もしらず 黒髪の
みだれてけさは 物 をこそ思へ
待賢門院堀河(生没年不詳) - ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただ有明の 月ぞ残 れる
後徳大寺左大臣 (1139年~1191年) - 思ひわび さても命は あるものを
憂きにたへぬは 涙 なりけり
道因法師 (1090年~没年不詳) - 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
山の奥にも 鹿ぞ鳴 くなる
皇太后宮大夫俊成 (1114年~1204年) - 長らへば またこのごろや
しのばれむ
憂しと見 し世ぞ 今は恋しき
藤原清輔朝臣(1104年~1177年) - 夜もすがら 物思ふころは 明けやらで
閨のひまさへ つれなかりけり
俊恵法師 (1113年~没年不詳) - 嘆けとて 月やは物を 思はする
かこち顔なる わが涙かな
西行法師(1118年~1190年) - 村雨の 露もまだひぬ
まきの葉に
霧たちのぼる 秋 の夕暮
寂蓮法師(1139年頃~1202年) - 難波江の 葦のかりねの
ひとよゆゑ
みをつくしてや 恋ひ わたるべき
皇嘉門院別当 (生没年不詳) - 玉の緒よ 絶
えなば絶えね ながらへば
忍 ぶることの 弱りもぞする
式子内親王(1149年~1201年) - 見せばやな 雄島のあまの 袖
だにも
ぬれにぞぬれし 色はかは らず
殷富門院大輔 (生没年不詳) - きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに
衣かたしき ひとりかも寝む
後京極摂政前太政大臣 (1169年~1206年) - わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね かわくまもなし
二条院讃岐 (1141年頃~1217年頃) - 世の中は つねにもがもな 渚
こぐ
あまの小舟の 綱手 かなしも
鎌倉右大臣 (1192年~1219年) - み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて
ふるさと寒く 衣うつなり
参議雅経 (1170年~1221年) - おほけなく 憂き世の民に おほふかな
わがたつ杣に 墨染の袖
前大僧正慈円 (1155年~1225年) - 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり
入道前太政大臣(1171年~1244年) - 来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに
焼くやもしほの 身もこがれつつ
権中納言定家(1162年~1241年) - 風そよぐ ならの小川の 夕
暮は
みそぎぞ夏の しるしなりける
従二位家隆 (1158年~1237年) - 人もをし 人もうらめし あぢ
きなく
世を思ふゆゑに 物思ふ身は
後鳥羽院(1180年~1239年) - ももしきや ふるき軒ばの しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり
順徳院(1197年~1242年)