時雨の百人一首

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日本語音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー

Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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小野小町おののこまち

はないろ
うつりにけりな
いたらに
わがよにふる
ながめせしまに

小野小町
小野小町

THE blossom's tint is washed away By heavy showers of rain; My charms, which once I prized so much, Are also on the wane, Both bloomed, alas! in vain.Komachi Ono

11番歌
はないろは うつりにけりな いたらに
わがよにふる ながめせしまに
作者:小野小町おののこまち(生没年不詳)
出典:古今和歌集
現代語訳
美しかった桜が長雨に打たれて空しく色あせてしまった。私の容色も物思いに沈んで、この世を過ごしているうちに衰えてしまった。
解説
誠実な愛を求めつつ、物思いしていると、気づけば年老いて独りきりになった女性の心情が詠まれています。
どんな人?
小野小町の生誕については諸説あり、詳細は明らかではありませんが、彼女は参議篁の子である出羽郡司・小野良真の娘であると伝えられています。日本では、クレオパトラや楊貴妃と並び「世界三大美人」と称され、絶世の美人として数多くの逸話が語り継がれています。生没年や経歴は謎に包まれていますが、仁明天皇文徳天皇の後宮に仕えていたとされています。和歌の才能に恵まれ、技巧に富んだ歌を多く残しています。
語句・豆知識
桜の色は
うつり けり
色あせてしまった
いたずらに
無駄に、むなしく
ふる
わが身が世に暮れていく
ながめせ
物思いに沈んでいる間に
小野小町の系図
小野小町の系図 小野篁

の番号が付いている人物をクリックすると、その歌人のページに移動します。

小野氏は飛鳥時代から平安時代にかけて活躍しました。
飛鳥時代に遣隋使の大使を務めた小野妹子は聖徳太子が書いた「日出処天子」の国書を隋の皇帝に渡したことで知られています。

六歌仙
六歌仙 文屋康秀 僧正遍昭 喜撰法師 在原業平

古今和歌集が編纂された時期、小野小町を含む6人の歌人は、一世代前の非常に有名な歌人でした。紀貫之は古今和歌集の仮名序で、彼らを「近くの世に、その名が聞こえた人」として取り上げ、批評しました。紀貫之の批評はかなり厳しいものでしたが、その後、これらの6人の歌人は「六歌仙」と呼ばれ、優れた歌人として高く評価されるようになりました。

紀貫之による6人の歌人に対しての批評についてはこちらをご覧ください。

この「六歌仙」の中には、大友黒主という歌人も含まれていますが、彼は百人一首には収録されていません。一方で、他の5人は百人一首に選ばれています。

夢で逢えたらと詠んだ歌
小野小町は、たとえはかない夢であっても、恋人に逢いたいという歌を詠んでいます。

原文

うたたこいしきひとてしより
ゆめてふものは たのめてき 『古今和歌集』小野小町

現代語訳

うたた寝して、恋しい人を夢に見てから
夢というものを頼りにし始めてしまった。

覚めたくない夢を詠んだ歌
次の歌は、夢で愛しい人に逢えたのに目覚めてしまった後悔を歌にしています。

原文

おもひつつ ればやひとえつらむ
ゆめりせば めざらましを 『古今和歌集』小野小町

現代語訳

あの人のことを何度も思いながら眠りについたので、夢に現れたのだろうか。夢とわかっていたならば、目覚めなかったものを。

「ながめ」を用いた歌
次の歌は、在原業平が詠んだ一首です。
百人一首の小野小町の歌と同じように「ながめ」は「眺め」と「長雨」の掛詞になっています。

原文

きもせず もせでよるかしては
はるのものとて ながめくらしつ 『古今和歌集』在原業平

現代語訳

あなたを思うと起きるでもなく、寝るでもなく夜を明かしては春の習いである長雨を物思いをしながら眺め暮らしています。

文屋康秀への歌
文屋康秀が三河国に赴任する際、小野小町に一緒に行かないかと誘いました。
次の歌は、その返事として小野小町が詠んだ歌です。

原文

わびぬれば 浮草うきくさえて
さそみづあらば いなむとぞおも『古今和歌集』小野小町

現代語訳

悩み苦しんでいるので浮草のように根を断って
誘っていただける人があるならば行こうと思います。

美女伝説のきっかけ
六歌仙ろっかせん に紅一点で名前を連ねる小野小町。紀貫之は、古今和歌集の仮名序で小野小町の歌を次のように評しています。紀貫之は、小野小町が伝説の美女である衣通姫の家風を受け継いでいると述べています。この言及が小野小町に多くの美女伝説が生まれるきっかけになったと考えられています。

原文

小野小町は、いにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにて強からず。いはば、よき女のなやめるところあるに似たり。

現代語訳

小野小町は衣通姫の歌風を汲み、しみじみとした風情があるが強さがない。言わば美女が悩んでいるところがあるのに似ている。
美女伝説『百夜通い』
百夜ももよがよい』は、世阿弥が中心になって創作した小野小町の有名な美女伝説。深草少将という人物が小野小町に熱心に求愛しますが、小野小町はあきらめてほしいと考えていました。そこで、小町は深草少将に百夜通い続けたら受け入れると伝えます。深草少将は毎夜通いますが、99日目に大雪により凍死したという物語です。
葛飾北斎による浮世絵
葛飾北斎による木版画
National Diet Library, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。百人一首の歌を乳母がわかりやすく絵で説明するという趣旨で制作されたものです。小町は晩年、放浪の旅に出たと言われています。杖をつきながら桜を見上げる女性はひょっとして小野小町でしょうか。

歌川国芳の『百人一首之内』
歌川国芳による小野小町の浮世絵
British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。

月岡芳年の『月百姿』
月岡芳年による浮世絵
Tsukioka Yoshitoshi; Tsukioka Yoshitoshi died 1892; Yamamoto; Akiyama Buemon, Public domain, via Wikimedia Commons

幕末から明治時代前半にかけて活躍した浮世絵師・月岡芳年による浮世絵で、謡曲『卒都婆小町』を題材にしています。

謡曲『卒都婆小町』は、卒塔婆に腰かけていた老婆と高野山の僧とのやり取りを描いた話です。僧が「そこに座ってはいけません」と注意すると、老婆は「仏の慈悲はそんなに浅いものではない」と逆に僧を諭します。老婆は自分がかつて美しい小野小町だったことを明かし、過去を語り始めます。その後、深草大将の霊が現れて老婆に取り憑き、彼女は半狂乱になります。やがて百夜通いの出来事を再現する中で正気に戻り、仏の道を志し、極楽往生を願うようになるという物語です。

九相図(くそうず)
  • 九相図_01
  • 九相図_02
  • 九相図_03
  • 九相図_04
  • 九相図_05
  • 九相図_06
  • 九相図_07
  • 九相図_08
  • 九相図_09

屋外に置かれた死体が朽ちていく様子を九段階に分けて描かれる仏教絵画「九相図」。美女だった人たちが題材に選ばれることが多く、小野小町の九相図はよく知られています。九相図の制作目的は修行僧が煩悩を払うためにどんな美女でも亡くなったら髑髏になるという現世の無常を示すためと言われています。
See page for author, CC BY 4.0 , via Wikimedia Commons

三十六歌仙
小野小町は三十六歌仙の1人。
三十六歌仙の一覧ページはこちらをご覧ください。

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