日本語音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー
Translated by WILLIAM N. PORTER
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僧正遍昭
天つ風
雲のかよひ路
吹きとぢよ
をとめの姿
しばしとどめむ
OH stormy winds, bring up the clouds, And paint the heavens grey; Lest these fair maids of form divine Should angel wings display, And fly far far away.Bishop Henjo
- 12番歌
- 天つ風
雲のかよひ路
吹きとぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ
作者:僧正遍昭(816年~890年)
出典:古今和歌集 雑
- 現代語訳
- 空吹く風よ。天女が帰る雲の通り道を吹き閉じておくれ。舞姫たちをもうしばらくとどめておきたい。
- 解説
- 『古今集和歌』の詞書に「五節の舞姫を見て詠んだ歌」とあります。この歌は「五節の舞」を見た遍照が、舞姫たちを天女に見立てて詠んだものです。『古今和歌集』では作者名が「良岑宗貞」と記されており、この歌は、彼が出家する前に詠まれたものです。
- どんな人?
- 僧正遍昭は桓武天皇の孫で、俗名は良岑宗貞です。仁明天皇に蔵人頭として仕えていましたが、仁明天皇が急逝され、喪に服す諒闇という期間が終わると、同僚たちは喪が明けたことを喜びました。その様子を見た遍昭は、世の無常を感じ、出家を決意したといわれています。後に僧の最高位「僧正」の地位に就きました。
- 語句・豆知識
-
- 天 つ 風
- 天を吹く風よ
- 雲 の かよひ路
- 天女が天と地上を行き来する道
- 吹きとぢよ
- 吹き閉じておくれ
- をとめ の 姿
- 天女に見立てた舞姫の姿
- しばし とどめ む
- しばらくとどめておこう
- 僧正遍昭の系図
-
桓武天皇を祖父に持つ僧正遍昭ですが、祖母の身分が低かったため、親王宣下を受けられず、父の良岑安世は良岑朝臣姓を賜って臣籍降下していますが、正三位・大納言にまで昇進しています。
僧正遍昭も仁明天皇に仕えて蔵人頭となり、従五位上に叙されますが、同年に仁明天皇が崩御すると850年に出家。
唐で学んだ円仁・円珍に師事し、天台宗の僧侶となり、855年に僧官の最上位である僧正になりました。息子は素性法師です。
- 五節の舞(ごせちのまい)
-
五節の舞とは、大嘗祭や新嘗祭に行われる豊明節会で、十二単に檜扇を持ち、髪に額櫛を挿した4~5人の未婚の女性によって奉納される舞。
天武天皇が吉野で琴を弾いていると、天女が袖を5度振って舞ったという伝説が舞の由来だといわれています。
この画像は、昭和天皇即位式で披露されたと思われる五節の舞のポストカードです。ポストカードの舞姫は側面の髪を横に膨らまるような髪型ですが、平安時代の舞姫は髪の毛を自然に下ろしていたと考えられています。
- 式子内親王が詠んだ五節の舞
-
式子内親王も乙女の舞姫を見て次の歌を詠んでいます。
原文
天つ風 氷をわたる 冬の夜の
をとめの袖を みがく月影 『新勅撰和歌集』式子内親王現代語訳
空吹く風が吹き、
氷のように冷たく澄みわたる
冬の夜の乙女の袖を磨き輝かせる月光よ。 - 六歌仙
-
古今和歌集が編纂された時期、僧正遍昭を含む6人の歌人は、一世代前の非常に有名な歌人でした。紀貫之は古今和歌集の仮名序で、彼らを「近くの世に、その名が聞こえた人」として取り上げ、批評しました。紀貫之の批評はかなり厳しいものでしたが、その後、これらの6人の歌人は「六歌仙」と呼ばれ、優れた歌人として高く評価されるようになりました。
紀貫之による6人の歌人に対しての批評についてはこちらをご覧ください。
この「六歌仙」の中には、大友黒主という歌人も含まれていますが、彼は百人一首には収録されていません。一方で、他の5人は百人一首に選ばれています。
- 柳の枝を糸に、
白露を真珠の玉に見立てた歌 -
原文
浅緑 糸縒りかけて 白露を
玉にも貫ける 春の柳か 『古今和歌集』僧正遍昭現代語訳
浅緑の糸を縒り掛けて(ねじり合わせて)、白露を真珠の玉のように貫いている春の柳であることよ。
- 仁明天皇の喪が明けたときに
遍照が詠んだ歌 -
次の歌は、仁明天皇の喪に服す期間を終えて、周りの人が気持ちを切り替えているのに、自分だけはまだ悲しみに取り残されているという心境が詠まれています。出家したばかりの遍照の歌だと考えられます。
『古今和歌集』に収められています。原文
みな人は 花の衣に なりぬなり
苔の袂よ 乾きだにせよ 『古今和歌集』僧正遍昭現代語訳
皆が喪服を脱ぎ、華やかな装いに変わった。涙で濡れた私の僧衣の袖よ、どうかせめて乾いてほしい。
- 仁明天皇の皇子・常康親王を偲ぶ歌
-
常康親王は、自身の御所としていた雲林院を亡くなる直前に遍昭に譲り渡しました。
この歌は『古今和歌集』に収められており、詞書に「雲林院の木の蔭にたたずみてよみける」と記されており、
常康親王の崩御に打ちひしがれた遍昭が雲林院で詠んだ歌だと考えられています。原文
わび人の わきて立ち寄る 木の下は
たのむかげなく 紅葉散りけり 『古今和歌集』僧正遍昭現代語訳
失意に沈む私がとりわけ身を寄せる木の下には、頼りにする木陰はなく、紅葉も散ってしまったよ。
- 若い女性の美しい盛りを
冷ややかに詠んだ歌 -
次の歌は『古今和歌集』の「誹諧歌」というジャンルに収められた遍昭の一首です。
若い女性が人目をはばからずに騒ぐ様子を詠んだと言われています。原文
秋の野に なまめき立てる 女郎花
あなかしがまし 花も一時 『古今和歌集』僧正遍昭現代語訳
秋の野原に艶やかに咲き競う女郎花は何と騒がしいのだろう。美しい花もほんの一時であるのに。
- 参拝客が自分の寺に
宿泊することを願った歌 -
次の歌は、遍照が自身のお寺に参拝に訪れる人々に、そのまま帰らず、泊まっていってほしいという願いを込めて詠んだ一首です。
原文
夕暮れの 籬は山と 見えななむ
夜は越えじと 宿りとるべく 『古今和歌集』僧正遍昭現代語訳
夕暮れの垣根が山のように見えてしまってほしい。そうすれば夜は越えられないと(参拝客がこの元慶寺に)宿泊するだろうから。
- 元慶寺
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京都市山科区北花山河原町にある天台宗の寺院。868年に僧正遍昭が第57代・陽成天皇の誕生に際して発願し、藤原高子(清和天皇の后・陽成天皇の母)が建立しました。
時代を下って986年には第65代の花山天皇が藤原兼家・道兼親子の策略により、このお寺で出家させられました。
また、次の帝には兼家の娘・詮子の子を一条天皇として擁立しました。この花山天皇の出家を伴う政変は「寛和の変」と呼ばれています。 - 葛飾北斎による浮世絵
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江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。百人一首の歌を乳母がわかりやすく絵で説明するという趣旨で制作されたものです。舞台には五節の舞を披露する女性と楽人たちが描かれています。
- 歌川国芳の『百人一首之内』
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江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。舞姫たちは見当たりませんが、美しい装飾を施された巨大な大太鼓が目を引きます。 - 三十六歌仙
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僧正遍昭は三十六歌仙の1人。
三十六歌仙の一覧ページはこちらをご覧ください。
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