日本語音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー
Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox
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持統天皇
春過ぎて
夏来にけらし
白妙の
衣ほすてふ
天の香具山
The spring has gone, the summer’s come, And I can just descry The peak of Ama-no-kagu, Where angels of the sky Spread their white robes to dry.The Empress Jito
- 2番歌
- 春過ぎて
夏来にけらし
白妙の
衣ほすてふ 天の香具山
作者:持統天皇(645年~702年)
出典:新古今和歌集 夏
- 現代語訳
- 春は過ぎ去り、夏が来たようだ。夏になると衣が干されるという天の香具山に白い衣が干されているよ。
- 解説
- 香具山は奈良県橿原市にある小高い山で、持統天皇が政治を執り行った藤原京からは東に見えました。当時、初夏に「白妙の衣」を香具山に干す風習があり、夏の訪れを知らせる風物詩だったようです。
- どんな人?
- 本名は鸕野讃良。天智天皇の娘ですが、母方の祖父は天智天皇に謀反の疑いをかけられ自害しています。古代史上最大の内乱「壬申の乱」では天智天皇の後継をめぐり、夫の天武天皇と共に戦い勝利しました。天武天皇の崩御後は、息子の草壁皇子が夭折したため40代半ばで自らが天皇に即位。天武天皇の遺志を継ぎ、藤原京の造営、律令制度の整備などを行いました。
- 語句・豆知識
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- 春 過ぎ て
- 春が過ぎて
- 夏 来 に け(る) らし
- 夏が来たらしい
- 白妙の
- 白妙の
- 衣 ほす てふ
- 衣を干すという
- 天の香久山
- 天の香久山
- 持統天皇の系図
-
持統天皇は天智天皇の娘です。
天智天皇の死後、672年に皇統をめぐり、壬申の乱が勃発しました。持統天皇は夫・大海人皇子(天武天皇)と共に弘文天皇(大友皇子)が率いる朝廷軍と戦い勝利しました。
686年、天武天皇が亡くなると、大津皇子は謀反の罪で死刑に処されました。これについては諸説ありますが、一説には、持統天皇が自分の子である草壁皇子に皇位を継がせたかったため、人望が厚く草壁皇子のライバルになり得る大津皇子を排除するために死刑にしたと言われています。
下記に大津皇子の辞世の句を紹介しています。689年、草壁皇子が病に倒れ、29歳の若さで亡くなりました。持統天皇は、草壁皇子の子である軽皇子(後の文武天皇)に皇位を継がせようとしましたが、軽皇子はまだ8歳と幼かったため、持統天皇自身が天皇に即位します。
697年、文武天皇が即位すると、持統天皇は初の太上天皇(=上皇)になりました。
- 原歌
- この歌は新古今和歌集からの出典ですが、万葉集(第1巻 28番歌)の歌が原歌です。原歌では「白い衣が干してある」と情景がそのまま詠まれていますが、百人一首の歌では「白い衣を干すという」と伝聞の表現にアレンジされています。
原文
春過ぎて 夏来るらし 白妙の
衣干したり 天の香具山 『万葉集』持統天皇現代語訳
春は過ぎ去り、夏が来たようだ。
真っ白な衣が干してある。あの天の香具山に。 - 死刑になった
大津皇子の辞世の句 - 次の歌は、持統天皇の策略?によって処刑された大津皇子の辞世の句です。
鴨の鳴き声に生命の輝きを感じながら、彼はこの世を去ったのでしょうか。原文
ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を
今日のみみてや 雲隠りなむ 『万葉集』大津皇子現代語訳
磐余の池で鳴く鴨を見るのも今日が最後になり、私はこのまま死んでしまうのか。
「ももづたふ」は「磐余」にかかる枕詞です。
- 夫の天武天皇が崩御したときに
持統天皇が詠んだ歌 - 天武天皇が崩御した頃の皇居は「飛鳥浄御原宮」で、奈良県明日香村飛鳥にありました。飛鳥浄御原宮の北には、香久山があるため、歌に詠まれている「北の山」とは、香久山のことを指していると考えられます。持統天皇は、香久山にたなびく青雲に夫の天武天皇の霊を重ね合わせたようです。
原文
北山に たなびく雲の 青雲の
星離れ行き 月を離れて 『万葉集』持統天皇現代語訳
北の山にたなびく青雲が遠くに行く。
星を離れ、月を離れて。 - 舒明天皇が詠んだ香久山の歌
- 持統天皇の祖父である舒明天皇は、香久山を称える歌を詠みました。
原文
大和には 群山あれど とりよろふ
天の香具山 登り立ち
国見をすれば 国原は 煙立ち立つ
海原は かまめ立ち立つ
うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は 『万葉集』舒明天皇現代語訳
大和には多くの山々があるが、
ひときわ美しいのは天の香具山。
その頂に登り立って国を見渡せば、
国土には炊煙がさかんに立ち、
海の彼方にはカモメが空を舞う。
美しい国よ。蜻蛉島 大和の国は。 - 藤原宮と大和三山
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香具山(標高152m)・耳成山 (標高140m)・畝傍山 (標高199m)で大和三山と呼ばれており、奈良県橿原市にあります。藤原宮はこれらの山に囲まれていました。
- 天智天皇が女性をめぐる
争いを詠んだ歌 - 次の歌は、天智天皇が中大兄王子のときに詠んだ歌です。「大和三山」と呼ばれる香具山、畝傍山、耳梨山。どの山が男性でどの山が女性かは諸説ありますが、神話の時代には、これらの山が恋の三角関係にあったとされていたようです。
原文
香具山は 畝傍ををしと
耳梨と 相争ひき
神代より かくにあるらし
古も 然にあれこそ
うつせみも 妻を 争ふらしき 『万葉集』中大兄皇子現代語訳
香久山は畝傍を手放したくないと耳梨と争った。
神代の時代からこのようにあったらしい。
昔もそうだったから、今の世も妻をめぐって争うらしい。 - 藤原京
- 奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城。条坊制が日本で初めて採用され、壮大な都でしたが、完成から約15年後の710年に平城京に遷都されると、藤原京のあった地域は水田になり、藤原京はその規模さえ不明になってしまいました。藤原京の規模が明らかになったのは1990年代のことです。
- 壬申の乱
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壬申の乱は、皇統をめぐり弘文天皇(大友皇子)と天武天皇(大海人皇子)が争った古代最大の内乱です。天智天皇が皇統を大友皇子に譲ることを察知した大海人皇子は命の危険を感じ、わずかな従者と共に吉野に退避しました。
しかし、天智天皇が亡くなると、672年6月に朝廷に反旗を翻し「壬申の乱」が勃発しました。天武天皇(大海人皇子)は戦力的に劣勢でしたが、不破の道(岐阜県不破郡関ケ原町)を封鎖し、東国から兵を動員することで勝利を引き寄せました。その後、琵琶湖の東西から囲むように近江を攻撃し、追い詰められた弘文天皇(大友皇子)は7月23日に大山崎で自害。天武天皇(大海人皇子)が勝利しました。
持統天皇は天武天皇(大海人皇子)が出家して吉野に行くときから共に行動し、戦略を立案し、勝利に貢献しました。
- 葛飾北斎による浮世絵
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江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。百人一首の歌を乳母がわかりやすく絵で説明するという趣旨で制作されたものです。
川で洗濯したと思われる衣類を山に運ぶ人夫の姿が描かれています。濡れた衣をわざわざ山に干しにいくのは手間のかかることです。天の香久山は神聖視された山のため、何かしらの神事のためと思われますが、詳細はわかっていません。
- 歌川国芳の『百人一首之内』
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江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。
絵の香久山はごつごつとそびえ立っていますが、実際の香久山はなだらかな稜線で標高152mの低い山です。
- 鈴木春信による浮世絵
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江戸時代の浮世絵師・鈴木春信による作品です。持統天皇の百人一首の歌を江戸の風俗に置き換えて描かれています。
夏物の白い衣が干されており、江戸時代の夏の到来を表しています。桶の水が濁っていますが、当時は灰を水に混ぜてできるアルカリ性の水「灰水 」を使って洗濯していたそうです。
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