時雨の百人一首

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※音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー

語句・豆知識
かささぎ
かささぎ
写真:photoAC

かささぎ。カラス科の鳥で、カラスよりも一回り小さく、お腹と羽の一部が白いツートンカラーが特徴的。黒色は一色ではなく、尾にかけて金属的な青みがかったグラデーションになっています。脳が発達しており、非常に賢いと言われています。

渡せる橋
渡す橋。階段の「階」は「きざはし」と読みます。また、宮中の階段のことを「御階」と書いて「みはし」と読みます。この歌では、紫宸殿ししんでんの階段 を天の川の橋に見立て詠んだと言われています。
おく霜
降りている霜
白きをみれば
白いのを見ると
夜ぞふけにける
夜が更けていくのだなあ。詠嘆を表す「ける」は「ぞ」の係り結びで連体形になっています。
三十六歌仙
大伴家持は三十六歌仙の1人。平安時代中期の公卿:藤原公任(55番)が編纂した歌合形式の秀歌撰『三十六人撰』に収められた36名の歌人は三十六歌仙と呼ばれています。 三十六歌仙の一覧ページはこちらをご覧ください。
紫宸殿(ししんでん)
京都御所の紫宸殿
Saigen Jiro, CC0, via Wikimedia Commons

内裏の正殿。天皇元服や立太子礼、譲国の儀、節会などの儀式が行われました。写真は現在の京都御所の紫宸殿です。

大伴一族が巻き込まれた政争
大伴一族を揺るがす大事件

大伴一族の祖先は古墳時代に朝廷の軍事を統轄する豪族だったとされています。彼らは朝廷の諸機能を統括する官僚として成長し、平安時代初期まで政治の中枢にいました。
しかし、藤原氏に対抗する勢力でもあったため、しばしば大きな政変に巻き込まれました。桓武天皇の時代、長岡京造営の指揮をとっていた藤原ふじわらの 種継たねつぐが暗殺された際、大伴家持が主犯とされ、死後に遺骨が配流されました。このとき一族も連座して処罰を受けています。

さらに時代が下ると、平安宮の大内裏にある応天門おうてんもんが放火される「応天門おうてんもん へん」が発生します。主犯とされたのはともの善男よしお で、彼は大納言の地位にあったものの、嫌疑をかけられて流罪となり、またもや一族が連座して処罰されることに。この事件により大伴一族は没落への道をたどりました。

万葉集
万葉集は7世紀から8世紀に作られた現存する最古の歌集です。万葉集の時代は平仮名が使われていなかったため、万葉仮名と呼ばれる文字(漢字の音訓を使って平仮名のように表記)で書かれています。
また和歌の形は「五・七・五・七・七」の短歌(約4200首)の他に「五・七」を繰り返し、最期に「五・七・七」で終わる長歌 ちょうか (約260首)、五・七・七を2回繰り返す旋頭歌せどうか(約60首)などがあります。
万葉集 収録数の多い歌人ベスト4

このグラフは、詠み人知らずを含めた万葉集で収録数の多い歌人ベスト4です。万葉集の歌人は農民から天皇まで幅広い層に及び、東北から九州まで日本各地で詠まれた4516首が収められており、作者不明の歌が全体の半分近く約2000首もあります。また、多くの歌が収められた歌人としては、次のような人物がいます。

  • 大伴家持 473首
  • 柿本人麻呂 88首
  • 大伴坂上郎女
    (大伴家持の育ての母) 84首
万葉のふるさと高岡
大伴家持像
写真:photoAC

写真は富山県高岡市の二上山ふたがみやま(標高274m)にある大伴家持の像です。家持は746年~751年の約5年間、越中守えっちゅうのかみ として越中国えっちゅうのくに に5年間滞在しました。万葉集は全部で4516首がありますが、家持の歌は473首も採られており、1割を占めます。家持が詠んだ473首の内、半数に迫る223首は越中国 えっちゅうのくににいる間に詠まれました。万葉歌人である家持がたくさんの歌を詠んだ高岡市は「万葉のふるさと」と呼ばれています。

越中国で詠んだ歌
次の歌は家持が越中国(富山県)にいた750年に詠んだものです。

原文

はるその くれないにほふ もも はな
した みち娘子おとめ

現代語訳

春の庭が桃の花で照り輝いている。
桃の紅色に照らされた道にふと現れてたたずむ少女よ。

奈良で詠んだ歌
次の歌は家持が春愁を詠んだものです。

原文

うらうらに れる春日かすがに ひばり がり
こころかなしも ひと りしおもへば

現代語訳

うららかに晴れた日にひばりが天高く舞い上がっていく。
私はひとり空に吸い込まれそうになり悲しくなる。

葛飾北斎による浮世絵
葛飾北斎による木版画
Katsushika Hokusai, CC0, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。歌に登場する七夕の伝説(かささぎの渡せる橋)は中国発祥なので、北斎は唐船を描いたのだと思われます。舳先にいる船乗りが指さす先に飛んでいる鳥はかささぎでしょうか。

歌川国芳の『百人一首之内』
歌川国芳による浮世絵
British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。

中納言
中納言は「太政官」と呼ばれる行政機関を統括する最高官庁の職の一つ。
詳しくは平安時代の身分と官職をご参照ください。

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