日本語音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー
Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox
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寂蓮法師
村雨の
露もまだひぬ
まきの葉に
霧たちのぼる
秋の夕暮れ
THE rain, which fell from passing showers, Like drops of dew, still lies Upon the fir-tree needles, and The mists of evening rise Up to the autumn skies.The Priest Jaku-ren
- 87番歌
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村雨の
露もまだひぬ
まきの葉に
霧たちのぼる 秋の夕暮れ
作者:寂蓮法師(1139年頃~1202年)
出典:新古今和歌集 秋
- 現代語訳
- 村雨が通り過ぎて、まだその滴が乾いていない杉や檜の葉のあたりに、霧が立ち上っている。秋の夕暮れに。
- 解説
- この歌は後鳥羽院が開催した「老若五十首歌合」で詠まれました。秋の叙景歌ですが、紅葉のような色はなく、常緑樹のまきを詠み込み、水墨画のような静寂さが伝わってくる作品だとして評価されました。「村雨」は、「群れになって降る雨」が由来で、秋に降るにわか雨のことです。
- どんな人?
- 寂蓮法師は、藤原俊成の養子でしたが、俊成の実の子である藤原定家に後継ぎを譲るため、出家して高野山で修行したと言われています。その後、諸国を行脚した後、嵯峨に移り住みました。後鳥羽院に和歌の実力を認められ、定家とともに新古今和歌集の撰者に選ばれましたが、その翌年に亡くなりました。
- 語句・豆知識
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- 村雨
- にわか雨、断続的に激しく降って過ぎる雨。
- 露 も ひ ぬ
- 露もまだ乾かない
- まき の 葉 に
- まきの葉あたりに
- 霧 たちのぼる
- 霧が立ち上る
- 秋 の 夕暮れ
- 秋の夕暮れ
- 寂連法師の系図
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寂連法師は、藤原俊成の弟・俊海の子です。父の俊海が出家して醍醐寺の僧となり、寂蓮は12歳頃に叔父の俊成に養子入りしたと考えられています。
やがて従五位上・中務少輔にまで出世しましたが、俊成の子・藤原定家が10歳になった頃、寂蓮は養子の立場を辞退して出家しました。
出家後も中央の歌会で活躍し、後鳥羽院から歌人として高く評価され、藤原定家とともに『新古今和歌集』の撰者に選ばれました。しかし、完成前に亡くなってしまいました。
- 三夕の歌(さんせきのうた)
- 新古今和歌集に収められている「秋の夕暮れ」で終わる次の3首が「三夕の歌」として称えられています。
寂連
原文
さびしさは その色としも なかりけり
まき立つ山の 秋の夕暮れ 『新古今和歌集』寂連現代語訳
寂しさを感じさせるのは、必ずしもその色(紅葉の色)であるわけではないのだなあ。杉や檜などが立つ山の(無彩色の)秋の夕暮れは。
西行
原文
心なき 身にもあはれは 知られけり
鴨立つ沢の 秋の夕暮れ 『新古今和歌集』西行現代語訳
出家して感情を捨てたにもかかわらず、鴫が飛び立つ沢の秋の夕暮れに哀愁を感じる。
藤原定家
原文
見渡せば 花も紅葉も なかりけり
浦の苫屋の 秋の夕暮れ 『新古今和歌集』藤原定家現代語訳
見渡せば花も紅葉も見あたらない。 苫ぶきの粗末な小屋があるだけの海辺の秋の夕暮だけが目に映る。
- 春を惜しんだ歌
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次は、建仁元年(1201年)の老若五十首歌合のときの歌です。寂連法師が亡くなる前年に詠まれました。
「春の湊」という言葉は造語で、春の行き着く先という意味で用いられています。原文
暮れてゆく 春の湊は 知らねども
霞に落つる 宇治の芝舟 『新古今和歌集』寂連法師現代語訳
暮れてゆく春の行き着く湊はどこかわからないけれども、下流に立ちこめる霞の中に落ちてゆくように流れてゆく柴舟であることよ。
- カタツムリを詠んだ歌
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次は、小さな生き物に優しい眼差しを向けた歌です。寂蓮法師の人柄がにじみ出ています。
原文
牛の子に ふまるな庭の かたつぶり
角ありとても 身をなたのみそ 『寂蓮法師集』寂連法師現代語訳
牛の子に踏まれるなよ。庭のカタツムリよ。角があるからといって過信しすぎてはいけないよ。
- 歌川国芳の『百人一首之内』
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江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。
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