日本語音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー
Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox
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元良親王
わびぬれば
いまはたおなじ
難波なる
みをつくしても
逢はむとぞ
思ふ
WE met but for a moment, and I'm wretched as before; The tide shall measure out my life, Unless I see once more The maid, whom I adore.The Heir-Apparent Moto-yoshi
- 20番歌
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わびぬれば
いまはたおなじ
難波なる
みをつくしても 逢はむとぞ 思ふ
作者:元良親王(890年~943年)
出典:後撰和歌集 恋
- 現代語訳
- お会いできず、寂しくつらい思いをする私はもはや身を捨てたのも同じことです。 今となっては難波の海の澪標のように、身を滅ぼしてでもあなたに会いたいのです。
- 解説
- 『後撰和歌集』の詞書に「事いできて後に、京極御息所につかはしける」とあります。 元良親王は宇多法皇の妃・藤原褒子との関係が世間の噂にのぼった後、彼女にこの歌を贈りました。
- どんな人?
- 元良親王は、父の陽成天皇が天皇の座を譲位した後に誕生した第一皇子です。毎晩のように女性を取っ替え引っ替えしていたようで「一夜めぐりの君」というあだ名を付けられました。そのドン・ファンのような振る舞いから『源氏物語』の光源氏のモデルの一人ともいわれています。
- 語句・豆知識
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- わび ぬれ ば
- 悩み苦しんだので
- 今 はた 同じ
- 今となっては同じである
- 難波 なる
- 難波にある
- み を つくし て も
- 身を尽くしても
- 逢は む と ぞ 思ふ
- 逢いたいと思う
- 元良親王の系図
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元良親王は父の陽成院が譲位した後に誕生したため、天皇に即位することはできませんでした。
元良親王が密通した藤原褒子は、宇多天皇の御息所で、藤原基経の息子である時平の娘です。藤原基経は、父の陽成院を廃帝した人物です。
- 澪漂(みおつくし)
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座礁の危険性がある浅瀬おいて、比較的水深があって船の往来が可能であることを示す杭。 難波は淀川の河口が広がり浅瀬が多く船が難航したため、難波の澪標は有名でした。
「澪標」は澪つ串が由来です。「水脈」と同意で海や川の中で、 水の流れる筋という意味です。和歌において「身を尽くし」と掛けてよく用いられます。 - 葛飾北斎による浮世絵
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江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。 百人一首の歌を乳母がわかりやすく絵で説明するという趣旨で制作されたものです。
重い荷物を運ぶ牛に藁束を乗せており、藁束の下部に鞍の一部が見えているので、誰か隠れて牛に乗っているのかもしれません。 元良親王がお忍びで乗っていたりして。
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