時雨の百人一首

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日本語音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー

Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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祐子内親王家紀伊ゆうしないしんのうけのきい

おと
高師たかしはま
あだなみ
かけじやそで
ぬれもこそすれ

祐子内親王家紀伊
祐子内親王家紀伊

THE sound of ripples on the shoree’er fails at Takashi; My sleeves all worn and wet with tearshould surely prove to thee, too, will constant be.The Lady Kii, of the House of Princess Yūshi

72番歌
おと高師たかしはまの あだなみ
かけじやそでの ぬれもこそすれ
作者:祐子内親王家紀伊ゆうしないしんのうけのきい(生没年不詳)
出典:金葉和歌集
現代語訳
噂に聞くいたずらに立ち騒ぐ高師の浜の波にはかかりますまい。袖を濡らすことになるでしょうから。
解説
この歌は「堀河院ほりかわいん艶書合えんしょあわせ」で詠まれました。艶書合えんしょあわせ とは、男性が恋の歌を送り、女性が返歌する形式の歌合です。29歳の藤原俊忠が「人知れぬ 思いあり その浦風に 波のよるこそ 言はまほしけれ」(現代語訳:人知れずあなたに恋をしています。有磯の浦風で波が寄るように、夜になったらこの思いを打ち明けたい。)と詠んだのに対して、70歳過ぎの紀伊は「あだなみ(浮気者の言葉)に思いはかけません」と粋な歌で返したのでした。
どんな人?
作者は後朱雀天皇の第一皇女・祐子内親王の女房で、長く歌人として活躍しました。夫といわれる藤原重経の官職が紀伊守きいのかみ だったことが名前の由来です。
語句・豆知識
音 に 聞く
噂に聞く
高師の浜
高師の浜の
あだ波
あだ波は
かけ
思いをかけまい
「波をかけまい」と掛詞になっています。
ぬれ もこそ すれ
袖が濡れると困るから
祐子内親王家紀伊の相関図

祐子内親王家紀伊は、後朱雀天皇の第一皇女・祐子内親王の女房でした。祐子内親王家紀伊に歌を贈ってきた藤原俊忠は、百人一首の撰者・藤原定家の祖父にあたる人物です。

祐子内親王家紀伊の相関図 三条天皇 周防内侍 相模 藤原俊成 藤原定家

の番号が付いている人物をクリックすると、その歌人のページに移動します。

藤原俊忠の歌
紀伊の百人一首の歌は、次の藤原俊忠が詠んだ歌の返しに詠まれました。

原文

ひとれぬ おもひあり その浦風うらかぜ
なみのよるこそ まほしけれ 『金葉和歌集』藤原俊忠

現代語訳

人知れず恋をしています。有磯ありその浦風で波が寄るように、夜になったらこの思いを打ち明けたい。

「思ひありその」には、「有磯海」(富山県高岡市にある歌枕)が掛かっています。

高師の浜の一部が残された浜寺公園
浜寺公園

大阪府堺市浜寺から高石市高石市高師の一帯。かつては砂浜に松林が広がる景勝地でした。現在は臨海工業地帯になっており、砂浜はコンクリートの護岸に変わってしまいました。

しかし、同地には浜寺公園が造られ、園内には当時の松林が一部残されており、当時を偲ぶことができます。

地図へのリンク

高師の浜の松林を救った
大久保利通の歌
高師の浜は、明治時代に新田開発が進められ、松林が伐採される危機にありました。しかし、大久保利通が訪れた際、伐採されている松林を見て心を痛め、次の歌を詠みました。この歌がきっかけとなり、伐採は中止され、後に浜寺公園が誕生しました。

原文

おと高師たかしはま浜松はままつ
のあだなみは のがれざりけり 『浜寺公園の惜松碑』大久保利通

現代語訳

名高い高師の浜の浜松も
世の人の心の移ろいからは逃れられないのだなあ。

歌川広重の浮世絵
高師の浜
Utagawa Hiroshige, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・歌川広重による「高師の浜」の作品です。かつては砂浜に松林がある、まさに白砂青松の景勝地だったことがわかります。地図へのリンク

歌川国芳の『百人一首之内』
歌川国芳による祐子内親王家紀伊の浮世絵
British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。

高師の浜で、松の木の下に佇む紀伊を描いたのではないかと思われます。

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