時雨の百人一首

トップ コラム アプリ 和歌の一覧・検索
罫線

日本語音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー

Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

日本語

English

音声

Audio

左京大夫道雅さきょうのだいぶみちまさ

いまはただ
おもえな
とばかりを
ひとづてならで
よしもがな

左京大夫道雅
左京大夫道雅

IF we could meet in privacy, Where no one else could see, Softly I'd whisper in thy ear This little word from me— 'I'm dying, Love, for thee.'The Shinto Official Michimasa,
of the Left Side of the Capital

63番歌
いまはただ おもえな とばかりを
ひとづてならで よしもがな
作者:左京大夫道雅さきょうのだいぶみちまさ(992年~1054年)
出典:後拾遺集 恋
現代語訳
(逢うことが許されなくなった)今となっては「あなたへの思いをあきらめましょう」とせめて人づてでなく、直接伝えられる方法があったらよいのに。
解説
道雅は、斎宮であった当子まさこ内親王を愛しましたが、彼女の父である三条院は、厳しい警護を敷き、道雅が内親王に会うことを許しませんでした。道雅は、愛しい人に会えない切ない心情を歌に託しました。
どんな人?
藤原通雅は、藤原伊周の長男です。父・伊周が法皇に弓を射かけた「長徳の変」によって一族は没落の一途をたどっていました。通雅は従三位でしたが、政治的な影響力はなく、自暴自棄になっていきます。素行が悪く「荒三位あらざんみ」や「悪三位あくざんみ」と呼ばれました。殺人事件の黒幕に名前が挙がることさえありました。
語句・豆知識
今 は ただ
今となってはもう
思ひ絶え
(相手への)思いを絶ってしまおう
と ばかり を
ということだけを
人づて なら
人づてではなく
言ふ よし もがな
言う手段があったらいいのになあ
道雅の系図

父・藤原伊周が長徳の変で左遷されると権力の絶頂にあった中関白家は一気に没落していきます。藤原道雅は25歳にして蔵人頭に出世し従三位に叙されましたが、同年に当子内親王との密通が公になると、三条天皇勅勘を被り、恋は引き裂かれ、左遷されました。百人一首に採られた歌はそのときに詠まれたものです。歌は自らが招いた運命を受け入れるかのような心境を綴っていますが、道雅のその後の生活は「荒三位あらざんみ」や「悪三位あくざんみ」と呼ばれるほどに荒れ、ときに乱暴狼藉に走る自暴自棄の生活を送りました。

通雅の系図 三条天皇 儀同三司母

の番号が付いている人物をクリックすると、その歌人のページに移動します。

逢えずに涙する歌
藤原通雅は、粗暴な言動や乱闘、さらには殺人事件の黒幕としても疑われ、「悪三位」とまで呼ばれた人物です。
しかし、そんな彼も当子内親王との恋が引き裂かれたときには、情感豊かな悲恋の和歌を詠みました。
次の4首は『後拾遺和歌集』に採られています。

原文

逢坂あふさかは あづまとこそ きしかど
こころづくしの せきにぞありける

現代語訳

逢坂の関は東国に通じる関だと聞いていたが、実際は、心を尽きさせるほど困難な、遠い筑紫つくしの関のようなものだったのだなあ。

「心づくし」に九州の「筑紫」(=現在の福岡県)が掛かっています。

玉串

原文

榊葉さかきば木綿四手ゆふしでかけし
そのかみに
かえしても
たるころかな

現代語訳

斎宮だったときのあなたは榊葉に木綿垂ゆうしで を垂れ掛けて神に仕えておられて、触れることも許されない存在でした。その当時に押し返されたようで、ままならない今日この頃ですよ。

木綿垂とは、木綿で作った四手のことです。四手は、玉串に付けて垂らす紙のことです。

原文

みちのくの 緒絶をだえはしや これならむ
ふみみふまずみ 心まどはす

現代語訳

陸奥にある「緒絶おだえの橋」というのは、これのことを言っていたのだな。文を見ることもなくなって、あなたとの縁が切れやしないかと、心をかき乱されるよ。

「緒絶の橋」とは、宮城県古川市にある緒絶橋のことで、嵯峨天皇に寵愛された「おだえ姫」が都を追われ、この橋で身を投じたという悲恋伝説が残されています。

原文

なみだやは またもふべき つまならん
くよりほかの なくさめぞなき

現代語訳

涙を流したらまたあの人に逢うきっかけになるだろうか。そんなことはないのに。泣くより他に慰めるものは何もないのだ。

「つま」とは、漢字で「端」と書き、きっかけや手がかりを意味します。

父・伊周の遺言
中関白家の没落を招いた父・伊周これちかは通雅に「人に追従して生きるよりは出家せよ」と遺言しました。
通雅は当子内親王との密通が公になると、父の遺言どおり出家しています。
歌川国芳の『百人一首之内』
歌川国芳による浮世絵
British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。

次の和歌へ

前の和歌へ

上へ戻る