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Translated by WILLIAM N. PORTER
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左京大夫顕輔
秋風に
たなびく雲の
たえ間より
もれいづる月の
影のさやけさ
もれいつる
つきのかけ
のさやけさ
あきか
- 79番歌
-
秋風に
たなびく雲の
たえ間より
もれいづ る月の 影のさやけさ
作者:左京大夫顕輔(1090年~1155年)
出典:新古今和歌集 秋
- 現代語訳
- 秋風にたなびく雲の切れ目から、こぼれ落ちる月の光は何と澄み渡って明るい美しさであることよ。
- 解説
- 『新古今和歌集』の詞書に「崇徳院に百首歌を奉りけるに」と記されており、この歌は、崇徳天皇の命により作られた『久安百首』に詠進された歌です。
- どんな人?
- 左京大夫顕輔こと、藤原顕輔は、平安時代後期に活躍した著名な歌人です。六条藤家の祖・藤原顕季の息子として、歌道の名門に生まれました。彼は崇徳院の命を受けて、『詞花和歌集』の撰者に任命され、その編纂には、息子の藤原清輔に手伝わせていますが、清輔の歌は一首も選ばれませんでした。このことから親子関係に確執があったと伝えられています。顕輔は、左京大夫を任じられ、正三位という高位に授かった公卿でもあります。
- 語句・豆知識
-
- 秋風 に たなびく
- 秋風によって横にたなびく
- 雲 の 絶え間 より
- 雲の切れ間から
- もれいづる
- こぼれ射してくる
- 月 の 影 の
- 月の光
- さやけさ
- 澄みわたって明るい美しさよ
- 藤原顕輔の系図
-
■の番号が付いている人物をクリックすると、その歌人のページに移動します。
藤原顕輔は、父・藤原顕季を祖とする六条藤家 と呼ばれる歌道の名門に生また2代目です。ちなみに「六条藤家」の名前は、藤原顕季が京都六条烏丸に住んでいたことに由来します。
顕輔は、崇徳院の命を受けて『詞花和歌集』の撰者になりました。この編集には、息子の藤原清輔に手伝わせましたが、顕輔は清輔の歌を『詞花和歌集』に一首も採りませんでした。このため、親子関係に確執があったと伝えられています。しかし、顕輔は亡くなる年に、六条藤家の嫡流の証とされる人麻呂影供で使われる人麻呂の肖像を清輔に譲りました。
平安末期は、保守的な歌を重んじる六条藤家と革新的な和歌を推進する御子左家が歌壇の主導権を競い合いました。六条藤家は、顕輔・清輔親子の時代に全盛を迎え、その後は次第に歌人が輩出されずなくなり、以降は御子左家が栄えていきます。
ところで、顕輔は顕昭という僧歌人を養子にしています。顕昭は和歌の注釈書や歌学書を多く残した人物です。
- 恋人への想いを詠んだ歌
- この歌は『金葉和歌集』に収められています。
原文
逢ふと見て うつつの甲斐は なけれども
はかなき夢ぞ 命なりける 『金葉和歌集』藤原顕輔現代語訳
夢の中で恋しい人に逢えたとして、現実には何も変わらないけれど、その儚い夢こそが私の命なのです。
- 水面に映る月を詠んだ歌
- 顕輔は、背の高い蘆の足元にある水面に映る月を見て、昇進せずに不遇な境遇に甘んじる自分を重ね合わせたようです。この歌は『詞花和歌集』に収められています。
原文
難波江の 蘆間に宿る 月みれば
我が身ひとつも 沈まざりけり 『詞花和歌集』藤原顕輔現代語訳
難波江に生い茂る蘆の間の水面に映る月を見ていたら、
私一人だけが埋もれてしまうのではないと気づいた。 - 枕草子の「春はあけぼの」の
情景を思わせる歌 - 『枕草子』の「春はあけばの。やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」の情景を和歌にしたような歌です。この歌は、家集『顕輔集』に収められています。
原文
月影に たづねきつれば ほととぎす
鳴く山の端に 横雲わたる 『顕輔集』現代語訳
月明かりを頼りに訪ねてきたら、ほととぎすが鳴いた山の稜線あたりに、雲が横にたなびいている。
- 「秋の田の…」を本歌取りした歌
- 顕輔は、天智天皇の歌を本歌取りした歌を詠んでいます。
こちらの歌でももれいづる月の光を歌に詠み込んでいます。原文
秋の田に 庵さす賤の 苫をあらみ
月とともにや もり明すらん 『新古今和歌集』藤原顕輔現代語訳
秋の田のほとりに庵を作る農民は、粗末な屋根で苫の編み目が粗いので、射しこむ月の光と共に夜を明かすだろう。
- 歌川国芳の『百人一首之内』
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British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons 江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。 - 人麻呂影供(ひとまろえいぐ)
- 六条藤家の祖・藤原顕季が始めた、歌聖・柿本人麻呂を祀る儀式。この儀式は、柿本人麻呂の肖像を掲げ、和歌を捧げることで、人麻呂の和歌を手本に和歌に精進しようとするものです。六条藤家では、人麻呂の肖像を受け継ぐことが、嫡流の証とされました。
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