日本語音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー
Translated by WILLIAM N. PORTER
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藤原道信朝臣
明けぬれば
暮るるものとは
知りながら
なほうらめしき
朝ぼらけかな
ALTHOUGH I know the gentle night Will surely follow morn, Yet, when I'm wakened by the sun, Turn over, stretch and yawn— How I detest the dawn!The Minister Michi-nobu Fujiwara
- 52番歌
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明けぬれば
暮るるものとは
知りながら
なほうらめしき 朝ぼらけかな
作者:藤原道信朝臣(972年~994年)
出典:後拾遺和歌集 恋
- 現代語訳
- 夜が明けてしまえば、やがて日が暮れてまたお会いできるとわかってはいるものの、それでも恨めしい朝ぼらけであることよ。
- 解説
- 平安時代、逢瀬は夜の間に限られていました。歌には、夜が訪れれば再び逢えると知っていても、たとえ一瞬たりとも愛しい相手から離れたくないという恋心が詠まれています。
- どんな人?
- 藤原道信は、関白であった叔父の藤原兼家の養子として育ちました。『大鏡』では「いみじき和歌の上手にて、心にくき人に言はれ給ひし」と記され、和歌に優れ、控えめで心優しい性格の持ち主であったとされています。将来性が期待されていましたが、残念ながら天然痘に罹り、23歳という若さで逝去しました。
- 語句・豆知識
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- 明け ぬれ ば
- 夜が明けてしまうと
- 暮るる もの と は 知り ながら
- 日が暮れることはわかっているけれども
- なほ うらめしき
- それでも恨めしい
- 朝ぼらけ かな
- 夜がほのぼのと明けるころかな
- 藤原道信の系図
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藤原道信は藤原為光の三男ですが、道信が23歳のときに父は他界。一条天皇の摂政になったばかりの伯父・藤原兼家の養子として元服し、従五位上に叙せられました。備後、越前、丹後などの地方官を務め、最終官位は左近衛中将・従四位上です。
- 伊勢大輔との連歌
- 次の歌は、藤原道信と伊勢大輔の連歌です。
藤原道信が山吹の花を持って一条天皇の中宮・彰子の部屋の前を通り過ぎようとしたとき、 女房たちに歌を詠むようにせがまれました。そこで、 道信が上の句を詠み、 伊勢大輔が下の句を詠みました。原文
くちなしに ちしほやちしほ
染めてけり
こはえも言はぬ
花の色かな 『俊頼髄脳』現代語訳
くちなしのように口には出せない想いを抱える私は
くちなし色に染めた山吹の花を持っています。
なんともいえない美しい花の色ですね。「やまぶき」は黄色の花を付けます。「くちなし」の果実は染色で使用され、染め上がりが黄色になります。また「くちなし」は花の「くちなし」と口に出せない「口無し」に掛かっています。下の句の「えもいはぬ」は「口無し」に掛けて詠まれています。
- 辞世の句
- くちなしつながりでもう一首、道信の辞世の句をご紹介します。
道信は、病気で亡くなる直前、山吹色の着物と一緒にこの歌を愛する女性に贈りました。原文
くちなしの 園にやわが身
入りにけむ
思ふことをも
言はでやみぬる 『千載和歌集』藤原道信現代語訳
くちなしが咲く園に入り込んでしまったのでしょうか。
思っていることを言えないで命が尽きてしまった。 - 葛飾北斎による浮世絵
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江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。百人一首の歌を乳母がわかりやすく絵で説明するという趣旨で制作されたものです。この絵は吉原で夜を遊び明かした客たちを運ぶ駕籠 かきたちを描いたものです。北斎は朝ぼらけを恨めしく感じる心情を駕籠の中にいる遊客に見出したようです。
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