絵札
取り札
音声
※音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー
- 語句・豆知識
-
- このたびは
- 「たび」は旅と度の掛詞。
- 幣(ぬさ)
-
旅の安全を祈る際に神様に捧げるもので、紙・麻などを切って垂らした神具。
イラスト:illustAC - とりあへず
- 前もって準備できず
- 手向山
- 神が祀られている山
- もみぢのにしき
- 錦織のように美しい紅葉
- まにまに
- 神様の御心のままに
漢字で「随に」と書きます。 - 菅原道真の系図
-
菅原氏の祖先は土師氏で、古墳時代に古墳の造営や天皇の葬送を司った豪族です。『日本書紀』には、土師氏が殉職者に変わる埴輪の発明をしたことが記録されています。
菅原古人のときに菅原氏に改姓し、文章博士を多く輩出。天皇の侍読を務めたり、多くの文人を養成したことから菅原氏は学者の一族として知られるようになりました。
菅原道真の子孫には『更級日記』の作者として知られる菅原孝標女がいます。
- 文章博士
- 律令制のもとで作られた式部省が直轄する官僚育成機関である大学寮の紀伝道の教官。
- 菅原道真が左遷された理由
- 学者出身の道真は右大臣にまで出世。その出世を妬む貴族は多くいました。道真の娘婿が宇多天皇の第3皇子の斉世親王であったことから、道真を妬む貴族たちは道真が醍醐天皇を廃して、斉世親王の擁立を計画しているとして道真を左遷したといわれています。
- 北野天神縁起絵巻
-
大宰府に左遷されて菅原道真が無念の死を遂げてから内裏の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貫と右中弁兼内蔵頭の平希世が死亡。その3カ月後に醍醐天皇が崩御したことにより、貴族たちは道真の怨霊だと恐れました。道真は日本三大怨霊(菅原道真・平将門・崇徳院)の一人にされています。
- 葛飾北斎による浮世絵
-
江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。百人一首の歌を乳母がわかりやすく絵で説明するという趣旨で制作されたものです。道に臥せている牛と動かない牛を見守る人たち、牛車が動かない事情を車の中の人に伝える情景が描かれています。道真は大宰府で最期を迎える際に「牛の行くところにとどめよ」と遺言し、実際に遺体を牛車で運ぶ途中で牛は途中で臥せて動かなくなり、道真の亡骸はそこに埋葬されたと言われています。現在、その場所には太宰府天満宮があります。
- 歌川国芳の『百人一首之内』
-
江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。 - 花文化の移り変わり
- コラム「花文化の移り変わり」で菅原道真が詠んだ梅と桜の和歌を紹介しています。ぜひご覧ください。
- 右大臣
- 右大臣は「太政官」と呼ばれる行政機関を統括する最高官庁の職の一つ。
詳しくは平安時代の身分と官職をご参照ください。
次の和歌へ
前の和歌へ