時雨の百人一首

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※音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー

語句・豆知識
たち別れ
別れ
「たち」は接頭語で意味を強めています。
因幡
現在の鳥取県東部。地図へのリンク
生ふる
生えている
まつとし聞かば
待っていると聞いたなら
「まつ」は「松」と「待つ」の掛詞。
雪平鍋・行平鍋
雪平鍋
行平が海女に潮を汲ませて塩を焼いた話にちなみ、塩を焼く器から起こった名だと言われています。
イラスト:IllustAC
奨学院(しょうがくいん)
在原行平が創設した在原氏の学問所。奨学院には皇族や臣籍降下で皇族を離脱した氏族(源氏、平氏、在原氏)の子弟が寄宿し、大学寮に通いました。このように有力貴族が設立した寄宿舎は大学別曹だいがくべっそうと呼ばれます。当時、文章博士を世襲化した菅原家が建設した文章院(菅原氏、大江氏の子弟が寄宿)に対抗する狙いがあったと考えられています。
臣籍降下(しんせきこうか)
皇族が身分を離れて、姓を与えられて家臣になること。
阿保親王
阿保親王
平城天皇の第一皇子。在原行平(16番)在原業平(17番)の父。
大江千里(23番)の実の祖父であるともいわれています。
薬子の変(くすこのへん)
天皇を退位した平城上皇が藤原薬子にそそのかされて政権回復を図り、弟である嵯峨天皇と対立した事件。近年では「平城上皇の変」や「平城太上天皇の変」と呼ばれることもあります。この政変により、平城上皇の第一皇子・阿保親王は連座して大宰権帥に左遷されました。その後、阿保親王は息子たちの臣籍降下を上奏し、行平や業平は在原の姓を賜りました。
松風・村雨
松風・村雨
Yoshitoshi, Public domain, via Wikimedia Commons

行平には須磨に配流されていた時期があり(配流された理由は不明)、そのときに「もしほ」と「こふじ」という姉妹に出会い、行平が2人に「松風」、「村雨」という名前を授けて寵愛したという伝説が残されています。この伝説によると「立ち別れいなばの山の…」の歌はこの2人との別れの際に詠まれたものとされています。
鳥取の因幡じゃないの?と思われますが、須磨にも「稲葉山」という山があったので、歌の地名とも整合が取れています。ちなみに須磨の「稲葉山」は行平が月見をしていたことから現在は「月見山」という名前になっています。

歌川国芳の『百人一首之内』
歌川国芳による中納言行平の浮世絵
British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。

因幡守(いなばのかみ)
因幡国の一等官の国司。国司について詳細は平安時代の身分と官職をご覧ください。
中納言
中納言は「太政官」と呼ばれる行政機関を統括する最高官庁の職の一つ。
役職・身分について詳細はこちらをご覧ください。

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