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Translated by WILLIAM N. PORTER
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貞信公
小倉山
峰のもみぢ葉
心あらば
今ひとたびの
みゆき待たなむ
いまひとた
ひのみゆき
またなむ
おぐ
- 26番歌
- 小倉山
峰のもみぢ葉
心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ
作者:貞信公(880年~949年)
出典:拾遺和歌集 雑秋
- 現代語訳
- 小倉山のもみぢ葉よ。心あらばもう一度の行幸があるまで散らずに待っていてほしい。
- 解説
- この歌は、小倉山の紅葉に深く感動された宇多上皇が、「この美しい景色を、ぜひ皇子の醍醐天皇にも見せたい」と仰った際に、上皇に随行していた貞信公が詠んだ一首です。親子で感動を共有したいという上皇の思いが伝わってきます。
- どんな人?
- 貞信公(藤原忠平)は、藤原基経の末子として生まれ、朱雀天皇の摂政を務めた後、関白に就任して藤原氏の栄華を築く一翼を担いました。その人柄は温厚であり、また兄の藤原時平によって大宰府に流された菅原道真とも親交が深く、最期まで交流が続いたと伝えられています。彼は藤原氏の家格向上や政治の安定に寄与し、その功績から「貞信公」と諡号されました。謙徳公の祖父です。
- 語句・豆知識
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- 小倉山
- 小倉山の
- 峰 の もみぢ葉
- 峰の紅葉よ
- 心 あら ば
- 心があるならば
- 今 ひとたび の
- もう一度の
- みゆき
- 天皇のおでかけまで
- 待た なむ
- 待っていてほしい
- 貞信公の系図
-
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貞信公(藤原忠平)は藤原北家の家柄に生まれました。曽孫には藤原道長がいます。
兄の左大臣・藤原時平が39歳で亡くなると、政治を主導するようになりました。醍醐天皇の勅を受けて時平が主導していた延喜格式 (律令の施行細則)も忠平が後を継いで完成させています。
朱雀天皇の治世では、忠平は摂政、関白を務めました。しかし、その治世は決して平穏とは言えず、藤原純友の乱や平将門の乱といった大規模な反乱が相次ぎ、地方の治安は大きく悪化しました。
兄の藤原時平は、菅原道真を陥れた人物として悪名高いですが、忠平は対照的に温厚な人物として知られています。彼は、左遷された後の道真とも交流を続け、その人柄を偲ばせるエピソードが残っています。
時平の急死は、道真の祟りだと言われ、時平の子・保忠は道真の怨霊を恐れ続けたと伝えられています。一方で、時平の死後、藤原北家の嫡流は、忠平に移り、忠平の子である実頼が小野宮流として、師輔が九条流として繁栄していきました。
- 定家が詠んだ小倉山の紅葉
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藤原定家も小倉山の紅葉を詠んでいます。次の歌は、百人一首を編纂したとされる小倉山荘で詠まれたものです。
この歌をきっかけに小倉山荘は「時雨亭」とも呼ばれるようになりました。原文
小倉山 しぐるるころの 朝な朝な
昨日はうすき 四方のもみぢ葉 『拾遺愚草』藤原定家現代語訳
小倉山に時雨が降る頃、周りの紅葉は日に日に深まってゆき、昨日目にした紅葉の色が、今日よりも薄かったことに気づかされる。
- 小倉あん
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小倉あんは、こしあんに、砂糖などで甘く煮た大納言小豆(大きな豆の小豆 )を混ぜて作られるあんこです。その名前の由来には、興味深い連想があると言われています。まず「小倉あん」の「小倉」は、紅葉の名所として知られる「小倉山」に由来します。小倉山は、貞信公の歌にあるように美しい紅葉が有名です。さらに、「紅葉」と「鹿」は、猿丸太夫の百人一首の歌にも見られるように、古くから風情ある取り合わせとして親しまれてきました。鹿の背に見られる斑点模様は「鹿の子模様」と呼ばれ、そこから連想されるのが、甘く煮た小豆の粒、つまり大納言小豆で、その粒がなめらかなこしあんに混ぜ合わされたものが、「小倉あん」です。 「小倉山」 → 「紅葉」 → 「鹿」 → 「鹿の子模様」 → 「大粒の小豆」 → 「小倉あん」が、小倉あんという名前の由来とされているのです。
- 葛飾北斎による浮世絵
Los Angeles County Museum of Art, Public domain, via Wikimedia Commons 江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。 百人一首の歌を乳母がわかりやすく絵で説明するという趣旨で制作されたものです。
この絵には歌の続きが描かれています。 歌では宇多上皇が皇子の醍醐天皇に小倉山の美しい紅葉を見せたいと詠まれており、 絵では醍醐天皇が実際に紅葉を見に来た情景が描かれています。 右に描かれているのは松。もみぢ葉も待った甲斐があったという意味が込められいると言われています。
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