時雨の百人一首

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日本語音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー

Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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月

西行法師さいぎょうほうし

なげけとて
つきやはもの
おもする
かこちがおなる
わがなみだかな

西行法師
西行法師

O’ERCOME with pity for this world, My tears obscure my sight; I wonder, can it be the moon Whose melancholy light Has saddened me to-night?The Priest Saigyo

86番歌
なげけとて つきやはものおもする
かこちがおなる わがなみだかな
作者:西行法師さいぎょうほうし(1118年~1190年)
出典:千載和歌集
現代語訳
嘆けと言って月が私に物思いをさせるのだろうか。そうではない。月に誘われるそぶりで流れる私の涙かな。
解説
この歌は「月前の恋」というお題を与えられて作られたものです。恋人を思って流す涙を、あたかも月のせいにしているかのように見せかけ、悲しみをじっとこらえている心情が詠まれています。
どんな人?
西行法師は、俗名を佐藤義清のりきよといい、鳥羽上皇に仕える北面武士左兵衛尉でしたが、23歳のときにその職も家庭も捨てて出家しました。出家した理由は、鳥羽上皇の皇后・待賢門院と恋に落ち、その思いを断ち切るためだったという説があります。出家後は、漂泊の歌人として東北、中国、四国など各地を巡り、旅先で自然と対話して多くの和歌を詠みました。
語句・豆知識
嘆け とて
嘆けと言って
やは 思は する
月が物思いをさせるだろうか、そうではない。
かこち顔なる
(月が)恨めしそうな様子の
かな
私の涙なのだなあ
出家を決意した歌
次の歌は、家集『山家集』に収められている一首です。西行が23歳の頃、出家を決意したときに詠んだとされています。

原文

そらになる こころはるかすみにて
にあらじと おもつかな 『山家集』西行法師

現代語訳

空になる心は、春霞が立ちこめるよう。 そんな境地に達した私は、もうこの世にいるべきではないと、出家を思い立ったのです。

出家のきっかけになった失恋の逸話
西行が出家したきっかけは失恋だったという説がありますが、その根拠は『源平盛衰記』にあります。その話によると、西行は口に出すのもはばかられるほどの高貴な女性に恋をしました。逢瀬が叶った後に西行が「次はいつ逢えるか」と尋ねると、その女性は「あこぎの浦ぞ」と返事をしました。次の歌は、恋にのぼせていた西行が詠んだとされるものです。

原文

おもひきや 富士ふじ高嶺たかね一夜ひとよ
くもうえなる つきんとは 『源平盛衰記』西行法師

現代語訳

富士よりも高い高嶺の花であるあなたと一夜を共に過ごせるとは思いもよらなかった。 雲の上のように手の届かないあなたと月を見るなんて。

女性が言った「阿漕の浦ぞ」とは、次の詠み人知らずの歌に由来しています。この歌は、『阿漕平治』という悲しいお話に関係しています。話の内容は次のとおりです。

昔、阿漕の浜に平治という若者がいました。彼は病気の母のために、ヤガラという魚をどうしても手に入れたいと考えました。ヤガラ阿漕浦あこぎうらにしかいない魚ですが、阿漕浦あこぎうらは、伊勢神宮に供える魚を獲る漁域であるため、そこで漁をすると海に沈められるという掟がありました。しかし、平治はこっそり漁をします。最初は一度だけのつもりが、やがて何度も。そのうち平治の行いは発覚し、掟に従って、簀巻きにされて海に沈められました。

ヤガラ

原文

伊勢いせうみ あこぎがうら
あみ
たびかさなれば ひともこそ『源平盛衰記』詠み人知らず

現代語訳

伊勢の海のあこぎが浦に何度も引き網を仕掛ければ、人に知られることになる。

「かこち顔」と「濡るる顔」
次の歌は『古今和歌集』に収められている伊勢の一首です。この歌にある「濡るる顔」は、西行の歌にある「かこち顔」と表現が似ています。西行は、この歌を参考にしたのかもしれません。

原文

ひにひて ものおもふころの わがそで
宿やどつきさへ るるかほなる 『古今和歌集』伊勢

現代語訳

あなたと何度も逢っていたのに、別れて物思いにふける今日この頃では、私の袖は涙に濡れて、そこに映る月までもが泣き濡れた顔であることよ。

実方の死を偲んだ西行の歌
次の歌は『新古今和歌集』および家集『山家集』に収められている西行の一首です。陸奥国に左遷され、不慮の事故で亡くなった藤原実方の墓を訪れたときに西行が詠んだ歌です。

原文

ちもせぬ そのばかりを とどきて
枯野かれののすすき 形見かたみにぞ見る 『新古今和歌集』西行法師

現代語訳

不朽の和歌の名声だけを残して骨を埋めたというが、
形見に見れるのは枯野のすすきだけだ。

西行の辞世の句
次の歌は家集『山家集』に収められている西行の辞世の句です。歌に詠まれている「望月のころ」は、2月15日を指し、これはお釈迦様が亡くなった日で、西行は1190年2月16日に亡くなっており、ほぼ希望どおりの日に亡くなりました。なお、この日付は旧暦のため、現在の暦に置き換えると、3月中旬~下旬に相当します。

原文

ねがくは はなもとにて はるなむ
そのきさらぎの 望月もちづきのころ 『山家集』西行法師

現代語訳

願わくは桜の下で春に死にたい。
お釈迦さまの涅槃の日である二月十五日の望月の頃に。

弘川寺
弘川寺
Otraff, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

弘川寺(大阪府南河内郡河南町)は、大和葛城山の麓にある古刹です。西行はここで生涯を閉じました。境内には西行の西行墳や歌碑、西行記念館があります。お寺やその周辺は桜の名所としても知られています。
地図へのリンク

秋の夕暮れを詠んだ西行の歌
この歌は、鴫が一斉に飛び立ち、沢に静寂が戻った夕暮れどきを詠んだものです。
「秋の夕暮れ」という体言止めで終わる3首の名歌「三夕さんせきうた」の1つに数えられています。

原文

こころなき にもあはれは られけり
しぎさわあき夕暮ゆうぐ『新古今和歌集』西行法師

現代語訳

出家して情緒を理解する心を捨てた私なのに、しぎが飛び立った沢の後に訪れる秋の夕暮れの静寂にしみじみと心を動かされることよ。
勝川春章の浮世絵
勝川春章の浮世絵

江戸時代中期の浮世絵師・勝川春章が浮世絵です。西行が詠んだ「三夕さんせきうた」を題材に描かれています。

富士見をした西行の歌
次の歌は『新古今和歌集』に収められている西行の一首です。その詞書には「東の方へ修行し侍りけるに、富士の山を詠める」と記されています。富士山の煙がどこへ向かうのかわからない様子に、自分のこれからの旅路も見通せないことを重ねているようです。

原文

かぜになびく 富士ふじけぶりそらえて
ゆくへもしらぬ わがおもひかな 『新古今和歌集』西行法師

現代語訳

風になびく富士山の噴煙が空に消えるように、私の思いもこの先どこにたどり着くのかわからない。

礒田湖龍斎の『富士見西行』
礒田湖龍斎の『富士見西行』

江戸時代中期の浮世絵師・礒田湖龍斎が描いた富士見をする西行法師です。

歌川国芳の『百人一首之内』
歌川国芳による浮世絵
British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。『吾妻鏡』によれば、源頼朝を訪れた西行法師は、訪問の際にお土産として銀製の猫を贈られました。しかし、庭を出ると、西行は自分には必要のないものと判断し、その銀製の猫を近くの子供たちに与えたといいます。西行の無欲ぶりを伝えるエピソードで、この絵はその情景を描いたものです。

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