時雨の百人一首

トップ コラム アプリ 和歌の一覧・検索
罫線

日本語音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー

Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

日本語

English

音声

Audio

文屋康秀ふんやのやすひで

くからに
あき草木くさき
しをるれば
むべ山風やまかぜ
あらしとい

文屋康秀
文屋康秀

THE mountain wind in autumn time Is well called 'hurricane'; It hurries canes and twigs along, And whirls them o'er the plain To scatter them again.Yasuhide Bunya

22番歌
くからに あき草木くさきの しをるれば
むべ山風やまかぜあらしとい
作者:文屋康秀ふんやのやすひで(生没年不詳)
出典:古今和歌集
現代語訳
山から風が吹くと秋の草木はしおれるので、なるほど、だから「山」に「風」と書いて嵐と読むのでしょう。
解説
この和歌には、漢詩で使われる離合詩という技法が応用されています。 「嵐」は現在では暴風雨のことを指しますが、当時は、山から吹き下ろす風のことを嵐と呼んでいました。
どんな人?
文屋康秀は、文屋朝康の父で、六歌仙ろっかせんに名前を連ねています。 同じく六歌仙の小野小町と親交があり、三河掾として三河国に赴任する際に、小野小町に一緒に来てほしいと誘った逸話が残っています。 小野小町は「わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて誘う水あらば いなむとぞ思ふ」と返歌していますが、実際に一緒に行ったかはわかっていません。
語句・豆知識
吹く からに
吹くとすぐに
草木
秋の草木が
しをるれ
萎れてしまうので
むべ
なるほど
山風
山風と書いて嵐と
いふ らむ
言うのだろう
文屋康秀の系図
文屋康秀の系図 小野小町 文屋朝康

の番号が付いている人物をクリックすると、その歌人のページに移動します。

文屋康秀の極官は、縫殿助で、位階は従六位上相当だと考えられています。 下級貴族ですが、康秀は天武天皇の末裔です。

百人一首 37番の文屋朝康は康秀の息子です。 百人一首に採られた康秀の歌は、古今和歌集の写本によっては朝康の歌となっている場合があり、 百人一首では親子ペアで入選していますが、いずれも朝康の作品である可能性があります。

文屋康秀は三河掾に任官されたことがあり、そのときに小野小町に一緒に三河に来るように誘っており、 その返事に小野小町は歌を詠んでいます。詳しくは小野小町のページをご参照ください。

果物「ムベ」
ムベの実

「ムベ」という名前のアケビ科の植物をご存じでしょうか? この植物の名前の由来は、天智天皇が現在の滋賀県東近江を訪れた際にあります。 天智天皇は、たくさんの子供を持ち、長寿である老夫婦に出会い、その秘訣を尋ねました。 すると、老夫婦は「ムベ」の実を差し出しました。 天智天皇がその実を食べて、「むべなるかな」(なるほどなあ)と感心したことから、 この植物は「ムベ」と呼ばれるようになったとされています。

枕草子に登場する「むべ山風を」
清少納言が書いた『枕草子』の「野分のまたの日こそ」という章段では、 台風が過ぎ去った翌日の情景が描かれています。庭の草木が風で散らかり、 美しい人が寝起きのままで髪が乱れている様子を、清少納言は興味深く観察しています。 また、清少納言が外の風景をしみじみと見ながら「むべ山風を」と文屋康秀の和歌の一節を口ずさみ、 風流に感じている場面が書かれています。
言葉遊びの和歌

藤原季通は「愁」を「秋」と「心」に分解して歌を作っています。

原文

事毎ことごとかなしかりけり むべしこそ
あきこころうれひひけれ 『千載和歌集』藤原季通

現代語訳

あらゆることが悲しく感じられる。 なるほど、だからこそ「秋」の「心」と書いて「愁」というのだな。

紀友則は、梅を「木」+「毎」で分解して歌を作っています。

原文

ゆきれば ごとはなきにける
いづれをうめと わきてらまし 『古今和歌集』紀友則

現代語訳

雪が降ると、どの木にも白い花が咲いたように見える。
雪と紛れて見分けがつかないので、 どの木を梅の木であると区別して手折るとよいだろうか。

六歌仙
六歌仙 小野小町 僧正遍昭 喜撰法師 在原業平

古今和歌集が編纂された時期、文屋康秀を含む6人の歌人は、一世代前の非常に有名な歌人でした。 紀貫之は古今和歌集の仮名序で、彼らを「近くの世に、その名が聞こえた人」として取り上げ、批評しました。 紀貫之の批評はかなり厳しいものでしたが、その後、これらの6人の歌人は「六歌仙」と呼ばれ、優れた歌人として高く評価されるようになりました。

紀貫之による6人の歌人に対しての批評については こちらをご覧ください。

この「六歌仙」の中には、大友黒主という歌人も含まれていますが、 彼は百人一首には収録されていません。 一方で、他の5人は百人一首に選ばれています。

むべ山双六
歌川国芳による文屋康秀の浮世絵
国立国会図書館デジタルコレクション

江戸時代に制作された百人一首の双六すごろくで 『新板百人一首むべ山雙六』と名付けられています。 右下に一番歌:天智天皇が配置されていて反時計回りにほぼ順番どおりに札が並べられています。 22番歌の文屋康秀の「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ」 のところで止まると褒美ほうびがもらえる仕組みだったといわれています。
縦:約52cm、横:約75cmです。

歌川国芳の『百人一首之内』
歌川国芳による文屋康秀の浮世絵
British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。

次の和歌へ

前の和歌へ

上へ戻る