日本語音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー
Translated by WILLIAM N. PORTER
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権中納言敦忠
逢ひ見ての
のちの心に
くらぶれば
昔は物を
思はざりけり
HOW desolate my former life, Those dismal years, ere yet I chanced to see thee face to face ’Twere better to forget Those days before we met.The Imperial Adviser Yatsu-tada
- 43番歌
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逢ひ見ての
のちの心に
くらぶれば
昔は物を 思はざりけり
作者:権中納言敦忠(906年~943年)
出典:拾遺和歌集 恋
- 現代語訳
- 逢って契りを結んだ後の気持ちと比べてみたら、逢う前の物思いなんて何でもなかったようです。
- 解説
- 『拾遺抄』の詞書によると、この歌は初めて契りを結んだ女性に翌朝贈られたとあり、いわゆる後朝の歌です。藤原敦忠は右近と恋愛関係にありましたが、敦忠は恋多き人物だったため、この歌が誰に捧げられたかはわかっていません。
- どんな人?
- 藤原敦忠は、左大臣・藤原時平の三男として生まれ、和歌や琵琶の才能に恵まれましたが、38歳という若さで病気により命を落とします。この突然の死は、周囲に大きな悲しみをもたらしました。父・藤原時平が菅原道真を失脚させていたため、道真の怨霊が敦忠に祟ったのではないかという噂が広まりました。
- 語句・豆知識
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- 逢ひ見 て の
- 逢瀬を遂げてみると
- のち の 心 に くらぶれ ば
- 後の気持ちと比べてみたら
- 昔 は
- 以前は
- 物 を 思は ざり けり
- 何も思っていなかったのだなあ
- 藤原敦忠の系図
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藤原敦忠は、左大臣・藤原時平の息子です。父の時平は901年の「昌泰の変」で菅原道真を大宰府に左遷させる中心的な役割を果たしました。道真は死後に怨霊になったと信じられており、908年に時平の政略に加担した藤原菅根が雷に打たれて急死、時平も909年に39歳で急死しました。さらに930年には清涼殿落雷事件が起き、時平の政略に加担した藤原清貫も急死しました。
敦忠は一族が道真に祟られていると感じていたといわれています。そして、943年に38歳の若さで亡くなりました。
- 葛飾北斎による浮世絵
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江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。百人一首の歌を乳母がわかりやすく絵で説明するという趣旨で制作されたものです。
この絵はなぜか丑の刻参り(午前1時から午前3時ごろに神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ちつける呪いの一種)の情景を描いています。右近から神罰が下らないか心配された藤原敦忠。この絵の女性が右近だとしたら彼女の歌は自分を捨てた男を恨む皮肉だったのだと考えられます。
平安時代の女性は、たとえ結婚していても、正妻でなければ、男性が訪れなくなることで関係が自然に終わってしまうという不公平な状況に置かれていました。ちなみに、丑の刻参りを行うのは、女性だけだったようです。
- 歌川国芳の『百人一首之内』
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江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。 - 三十六歌仙
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藤原敦忠は三十六歌仙の1人。
三十六歌仙の一覧ページはこちらをご覧ください。
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