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Translated by WILLIAM N. PORTER
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源宗于朝臣
山里は
冬ぞさびしさ
まさりける
人目も草も
かれぬと思へば
ひとめもく
さもかれぬ
とおもへは
やまざ
- 28番歌
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山里は
冬ぞさびしさ
まさりける
人目も草も かれぬと思へば
作者:源宗于朝臣(生年不詳~939年)
出典:古今和歌集 冬
- 現代語訳
- 山里は寂しいものですが、冬は一段と寂しい。訪れてくれる人もいないし、草木も枯れてしまうと思うと。
- 解説
- 山里は寂しい場所ですが、冬になるとその寂しさは一層深まります。訪れる人もなく、草木も枯れ果てる情景は、作者の不遇な出世を嘆く気持ちと重なったようです。彼は、人から顧みられない寂しい山里の景色に、自身の境遇を重ねていたのかもしれません。
- どんな人?
- 源宗于は光孝天皇の孫という高貴な身分にありながら、臣籍降下して朝廷に仕えました。宇多天皇に和歌を献上し、その才能を認められましたが、残念ながら官位には恵まれませんでした。平安時代は一夫多妻制だったため、皇族には多くの子が生まれ、孫ともなると特別な扱いを受けることは少なかったようです。
- 語句・豆知識
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- 山里 は
- 山里は
- 冬 ぞ さびしさ まさり ける
- 冬はとりわけ寂しさが勝る。
- 人目 も 草 も
- 人も草も
- かれ ぬ と
- 人が訪れなくなり、草木が枯れてしまうと
- 思へ ば
- 思うと
- 源宗于の系図
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■の番号が付いている人物をクリックすると、その歌人のページに移動します。
源宗于は、光孝天皇の孫で、宇多天皇の甥です。
源姓を賜与されて臣籍降下しました。官位に恵まれず、宇多天皇に和歌で自分の不遇を訴えました。しかし、昇進は叶わなかったという話が『大和物語』に描かれています。
- 宇多天皇に不遇の身を訴えた歌
- これは、宇多天皇に紀伊国から献上された、石が付いた海松を題材にして源宗于が詠んだ歌です。
原文
沖つ風 ふけゐの浦に 立つ浪の
名残にさへや 我はしづまむ 『大和物語』源宗于現代語訳
沖から風が吹いて、吹井の浦に立つ波の余波にさえもうち寄せられず、(石に付いた海藻のように海の底に)私は沈んでしまうのでしょう。
- 海松(みる)
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Flyingdream at Translated by William Ninnis Porter Wikipedia, Public domain, via Wikimedia Commons 海松 とは、浅い海の底の岩に生える暗緑色の海藻の一種です。今はあまり食べられていませんが、昔は一般的な食用の海藻でした。
その独特の形と美しさから、海松は「海松文」という装飾文様として平安時代の衣装デザインに取り入れられました。
- 葛飾北斎による浮世絵
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Katsushika Hokusai, CC0, via Wikimedia Commons 江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。百人一首の歌を乳母がわかりやすく絵で説明するという趣旨で制作されたものです。
冬の山里で暖を取る漁師たちが描かれています。歌の雰囲気とは異なり、北斎の絵は楽し気な雰囲気に包まれています。
- 三十六歌仙
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源宗于は三十六歌仙の1人。
三十六歌仙の一覧ページはこちらをご覧ください。
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