時雨の百人一首

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日本語音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー

Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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式子内親王しょくしないしんのう

たま
えなばえね
ながら
しのぶることの
よわりもぞする

式子内親王
式子内親王

THE ailments of advancing years Though I should try to hide, Some day the thread will break, the pearls Be scattered far and wide; Age cannot be defied.Princess Shikishi

89番歌
たまえなばえね ながら
しのぶることの よわりもぞする
作者:式子内親王しょくしないしんのう(1149年~1201年)
出典:新古今和歌集
現代語訳
私の命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。生き長らえてしまうと恋を忍ぶ気持ちが弱って困るから。
解説
『新古今和歌集』の詞書に「百首歌の中に忍ぶる恋を」とあります。この歌は題詠ですが、式子内親王は、斎院を務め、神に仕えた身であるがゆえに、公に恋愛できない立場にありました。「忍ぶ恋」という題は、彼女の人生に裏打ちされ、説得力のある歌になっています。
どんな人?
式子内親王は、後白河上皇の第三皇女で10代から20代初め頃まで斎院を務めました。退下後に家族を次々に亡くし、父の後白河天皇が平清盛に幽閉されたり、自身も呪詛の嫌疑をかけられるなど、波乱の人生を送りました。一方で、多くの美しい歌を詠み、『新古今和歌集』では女性歌人として最多の49首が収められています。
語句・豆知識
玉の緒
命よ
絶え 絶え
絶えてしまうなら絶えてしまえ。
ながらへ
生き長らえたら
忍ぶる こと
忍ぶ気持ちが
弱り もぞ する
弱ってしまうと困る
式子内親王の系図
式子内親王の系図 崇徳院 後鳥羽院

式子内親王は後白河天皇と藤原成子しげこ との間に生まれた第三皇女です。1159年に斎院に任じられ、1169年に病気で退下たいげするまでの10年間を神に奉仕する生活を送りました。

その後、1171年には妹の休子やすこ内親王がわずか15歳で亡くなり、1177年には母の成子しげこが亡くなりました。また、1179年、平清盛が父の後白河法皇を幽閉し、院政が停止される事態に。これに対し、弟の以仁王もちひとおうは1180年に挙兵しますが、平氏との戦いで流れ矢に当たり戦死しました。

また、式子内親王は叔母である暲子あきこ内親王(八条院)の家に身を寄せていましたが、暲子あきこ内親王が呪詛される事件が発生し、犯人扱いされてしまいました。この出来事がきっかけで、式子内親王は出家することになりました。

波乱の人生を送りながらも、式子内親王は藤原俊成に和歌を師事し、歌の才能を発揮。『新古今和歌集』では、女性歌人として最多となる49首が選ばれました。

斎院時代の歌
次の歌は、斎院として葵祭あおいまつり(賀茂祭)に臨まれた早朝に詠まれたものです。斎院は、神事の前日、神館かんだち と呼ばれる身を清めるための仮小屋に泊ることになっていました。夜が明けて、野辺におりた朝露を清らかに歌っています。

原文

わすれめや あおいくさに ひきむす
仮寝かりねべの つゆのあけぼの 『新古今和歌集』式子内親王

現代語訳

忘れられるだろうか、葵の葉を枕に結んで眠った夜が明け、露がおりた野辺の煌めきを。

葵の葉
二葉葵

葵祭(賀茂祭)では、清浄の象徴である桂の小枝と二葉葵の葉を絡ませた「葵桂あおいかつら」と呼ばれる装飾が用いられます。

葵祭では、祭りに関わる人たちがこの装飾を頭に飾り付けたり、牛車に装飾されている様子を見ることができます。

四季の叙景歌
式子内親王が詠んだ叙景歌をご紹介します。
四季折々の景物が美しい言葉と流麗な声調で詠まれています。

春の訪れを詠んだ歌

原文

やまふかはるともらぬ まつ
えかかる ゆき玉水たまみず 『新古今和歌集』式子内親王

現代語訳

山深く、春が来たのもわからない山家ではあるが、松の下にある戸に、とぎれとぎれに落ちてくる玉のように美しい雪解けの雫であることよ。

春の霞を詠んだ歌

原文

いまさくら きぬとみえて うすぐもり
はるにかすめる のけしきかな 『新古今和歌集』式子内親王

現代語訳

今まさに桜が咲いたと見えて、空には薄く雲がかかり、春の霞みに包まれた世のありさまであることよ。

夏の夕暮れを詠んだ歌

ヒグラシ

原文

夕立ゆうだちくももとまらぬ なつ
かたぶくやまに ひぐらしのこえ 『新古今和歌集』式子内親王

現代語訳

夕立ちを降らせた雲が過ぎ去った夏の日、
夕日が沈む山にひぐらしの鳴き声が聞こえる。

夏の終わりを詠んだ歌

『伊勢物語』の「ゆくほたる くものうへまで ぬべくは 秋風吹あきかぜふくと かりげこせ」を本歌取りしています。

ホタル

原文

秋風あきかぜかりにやつぐる 夕暮ゆうぐれ
くもちかきまで ゆくほたるかな 『風雅和歌集』式子内親王

現代語訳

秋風が吹いていると雁に告げにいくのだろうか。
雲近きまで高く飛んでゆく蛍であることよ。

秋の月を詠んだ歌

原文

かぜさむみ れゆく なに
のこるくまなき にわ月影つきかげ 『新古今和歌集』式子内親王

現代語訳

風が寒すぎて、木の葉が散って、空が露わになってゆく。そんな夜毎に、庭をあまさず照らす月の光よ。

冬の初雪を詠んだ歌

原文

さむしろの 夜半よわ衣手ころもで さえさえて
初雪はつゆきしろおかまつ 『新古今和歌集』式子内親王

現代語訳

さむしろに敷いた衣の袖が夜更けに冷えると思ったら、
今朝は、丘のほとりの松に初雪が白く積もっている。

忍ぶ恋の歌

『伊勢物語』に「五月待さつきま花橘はなたちばなをかげば むかしひとそで ぞする」という歌があります。この歌の影響で、橘の花の香りは過去を思い出させるものとされました。おそらく昔の恋を懐かしんでも、それは夢の中だけにとどめようとする式子内親王の思いが詠まれたのだと考えられます。

橘の花

原文

かへりむかしいまと おもひ
ゆめまくらにほふたちばな 『新古今和歌集』式子内親王

現代語訳

帰って来ることはない昔を今もう一度あれと思いながら夢を見て、覚めてみると枕元には橘の花の香りが漂っていた。

次の歌は、死んでもなお恋を忍ぼうとする歌です。

原文

きみゆゑと いふはたてじ きえはてむ
夜半よわけむりの すゑまでも『続後撰和歌集』式子内親王

現代語訳

あなたへの恋ゆえに亡くなったという噂が立たないようにしましょう。 私は煙になって消え果てますが、あなたには夜更けに昇る私の煙を最後まで見届けてほしい。

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