時雨の百人一首

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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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三条右大臣さんじょうのうだいじん

にしはば
逢坂山おうさかやま
さねか
ひとにしられで
くるよしもがな

三条右大臣

ひとにし
れてくるよ
しもかな

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なにし

25番歌
にしはば 逢坂山おうさかやまの さねか
ひとにしられで くるよしもがな
作者:三条右大臣さんじょうのうだいじん(873年~932年)
出典:後撰和歌集
現代語訳
逢坂山の「さねかずら」。その名前どおりであるならば、さねかずらのつるにあなたを絡ませて手繰り寄せ、 人に知られないで逢瀬できたらいいのにと思う。
解説
作者は右大臣と身分が非常に高かったので、恋人に逢うことは容易でなかったと考えられます。このため、人目を忍んで逢いたいという想いがこの歌に込められているのかもしれません。当時の人々は、想いを伝えるために、歌に詠んだ物を添えて贈るという風習がありました。作者もさねかずらを添えてこの歌を贈ったのでしょうか。
どんな人?
三条右大臣(藤原定方)は、中納言朝忠の父です。 三条に邸宅があり、右大臣であったことから三条右大臣と呼ばれました。 彼は天皇の外戚であり、右大臣にまで出世した人物です。 紀貫之や凡河内躬恒の才能を認め、彼らの作家活動を支援しました。
語句・豆知識
負は
もし名前どおりならば
逢坂山 さねかずら
逢坂山のさねかずら
知ら
人に知られないで
来る よし もがな
来る方法があったらいいのに
三条右大臣の系図
三条右大臣の系図 貞信公 光孝天皇 藤原朝忠 中納言兼輔 紫式部 大弐三位

の番号が付いている人物をクリックすると、その歌人のページに移動します。

三条右大臣は藤原北家で、藤原高藤たかふじの子。本名を藤原定方といいます。妹は宇多天皇の女御・胤子で、定方が右大臣にまで出世したのは、醍醐天皇の外戚であったことが背景にあると考えられています。

息子の中納言朝忠も百人一首に収められています。また、曽孫には藤原道長の妻・源倫子、紫式部の夫・藤原宣孝がいます。

藤原兼輔(紫式部の曾祖父)とはいとこ同士で、二人とも宇多・醍醐天皇に仕え、歌壇を盛り立てました。

「名にし負はば」で始まる歌
同じように「名にし負はば」で始まる有名な和歌をご紹介します。
在原業平が 隅田川の舟の上で詠んだ歌で『伊勢物語』の「東下り」に登場します。 後にこの和歌にちなんで近くの通りである団子屋さんが「言問こととい団子」を売り始めました。 するとその団子は人気になり、近くの橋の名前が「言問橋ことといばし」になり、 近くの通りの名前が「言問通ことといどおり」と名付けられたと言われています。 ちなみに都鳥とはユリカモメのことで、現在は東京都の鳥として知られています。

原文

にしはば いざことはむ 都鳥みやこどり
わがおもひとは ありやなしやと 『伊勢物語』在原業平
ユリカモメ

現代語訳

都鳥。
その名前どおりなら教えてほしい。
私が恋い慕う都にいる人は
無事でいるかどうか。

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