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Translated by WILLIAM N. PORTER
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大弐三位
ありま山
猪名の笹原
風吹けば
いでそよ人を
忘れやはする
いてそよひ
とをわすれ
やはする
ありま
- 58番歌
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ありま山
猪名の笹原
風吹けば
いでそよ人を 忘れやはする
作者:大弐三位(999年~没年不詳)
出典:後拾遺和歌集 恋
- 現代語訳
- 有馬山に近い猪名の笹原に風が吹きそよそよと音が響きわたります。さぁそうですよ。私があなたのことを忘れられるでしょうか。いいえ忘れられません。
- 解説
- 久しく連絡の途絶えていた男性から「心変わりしたのではないか」との手紙が送られてきて、それに対する返事として生まれたのがこの歌です。
- どんな人?
- 大弐三位こと、賢子は紫式部の娘であり、母と同じように一条天皇の中宮・彰子に仕えました。その後、後冷泉天皇の乳母を務めたことが契機となり、天皇の即位とともに、従三位(公卿)にまで出世しました。大弐三位の名前の由来は、30代半ばで再婚した高階成章の官職が太宰大弐であったことと彼女自身の位階が従三位であったことに基づくとされています。
- 語句・豆知識
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- ありま山
- 有馬山
- 猪名の笹原
- 猪名の笹原に
- 風 吹け ば
- 風が吹けば
- いで そ よ
-
さあそれですよ
「そよ」は、風がそよぐ音も表していると言われています。 - 人 を 忘れ やは する
- あなたを忘れるものですか
- 大弐三位の系図
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■の番号が付いている人物をクリックすると、その歌人のページに移動します。
大弐三位は、母の紫式部と同じく一条天皇の后である彰子に仕えました。
彼女は、開放的な人柄と美しい容姿を持ち、藤原道長の子である藤原頼宗や藤原公任の子である藤原定頼といった貴公子たちから好意を寄せられました。20代半ばで藤原道長の兄である藤原道兼の子・藤原兼隆と結婚し、娘をもうけましたが、離婚しました。
しかし、このときの出産が転機となり、彰子の孫・親仁親王(後の後冷泉天皇)が誕生すると乳母に任じられました。後冷泉天皇が即位すると、大弐三位は、典侍に任じられ、従三位に叙せられました。
大弐三位は、30代半ばで高階成章と結婚しました。この時、彼女の方が位は上でしたが、夫の成章も結婚後に出世し、太宰大弐に任じられました。大弐三位は典侍だったため、平安京を離れられず、二人は離れ離れで生活しましたが、彼女は二度も、夫に会うため太宰府を訪れています。当時、平安京から太宰府までは片道20日ほどかかったと言われており、かなりの長旅でした。
晩年は、夫に先立たれましたが、歌合に参加した記録などから80歳ぐらいまで長生きしたと考えられています。
- 大弐三位が藤原頼宗に詠んだ歌
- 『後拾遺和歌集』の詞書に「堀川右大臣のもとにつかはしける」と記されています。
この歌は、大弐三位が藤原道長の子である藤原頼宗に贈った和歌です。原文
恋しさの 憂きにまぎるる ものならば
またふたたびと 君を見ましや 『後拾遺和歌集』大弐三位現代語訳
あなたを恋しく思う気持ちが日々の煩わしいことで紛れるなら、再びあなたに会いたいと思うでしょうか。(いいえ気は紛れないので、会いたいのです。)
- 藤原定頼との贈答歌
- 次の歌は、藤原定頼と大弐三位の贈答歌です。
- 藤原定頼の歌
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定頼は、大弐三位になかなか会えないので、代わりに梅の花を大弐三位だと思って見ているという歌を詠んでいます。
彼は、梅の枝に添えて、この和歌を大弐三位に贈りました。原文
見ぬ人に よそへて見つる 梅の花
散りなむ後の なぐさめぞなき 『新古今和歌集』藤原定頼現代語訳
会えないあなたを偲んで見ていた梅の花。散ってしまったら慰めるものがなくなるに違いありません。
- 大弐三位の歌
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大弐三位は、定頼を梅の枝に見立て、返歌しました。
別の女性の移り香が付いていると浮気癖のある定頼を揶揄しています。原文
春ごとに 心をしむる 花の枝に
たがなほざりの 袖かふれつる 『新古今和歌集』大弐三位現代語訳
春が来るたびに私の心を満たし、私の心を染み込ませてきた花の枝に誰が気まぐれに袖を触れさせて、香りを移させたのでしょうか。
- 万葉集の歌
- 猪名野と有馬山を詠み込んだ歌は万葉集の時代からありました。
原文
しなが鳥 猪名野を来れば 有馬山
夕霧立ちぬ 宿りはなくて 『万葉集』詠み人知らず現代語訳
しなが鳥が飛ぶ猪名野を訪れると
有馬山に夕霧が立っていました。
宿はないのに。 - 一条天皇の宮廷サロン
- 大弐三位は、一条天皇の宮廷サロンで活躍しました。宮廷サロンの相関図はこちらをご覧ください。
大弐三位の年表
(クリックで開閉します。)大弐三位(藤原賢子)誕生
母・紫式部、父・藤原宣孝の娘として誕生しました。
父・藤原宣孝が死去
母・紫式部が死去
一条院の女院・彰子に出仕
母・紫式部と同じように一条院の女院・彰子(上東門院)に女房として出仕しました。
関白・藤原道兼の次男・兼隆と結婚し、娘をもうけています。親仁親王の乳母に任じられる
後に後冷泉天皇となる親仁親王の乳母に選ばれました。
高階成章と再婚
高階為家誕生
夫・高階成章との間に高階為家をもうけました。
典侍・従三位に叙せられる
後冷泉天皇が即位すると、乳母だった大弐三位は典侍・従三位に叙せられました。
夫・高階成章が
大宰大弐に任ぜられる高階成章は、大宰府に赴任した翌年に、従三位に叙せられました。
夫・高階成章が死去
高階成章は、任地の大宰府にて69歳で亡くなりました。
彰子(上東門院)が崩御
大弐三位死去
80歳ぐらいまでの長寿を全うしました。
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