絵札
取り札
音声
※音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー
- 語句・豆知識
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- わたの原
- 大海原
- 八十島
- 瀬戸内海に浮かぶ数多くの島
- かけて
- 目指して
- 漕ぎ出でぬ
- 漕ぎ出した
- あま
- 漁師
- 小野篁の系図
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小野氏は飛鳥時代から平安時代にかけて活躍しました。
飛鳥時代に遣隋使の大使を務めた小野妹子は聖徳太子が書いた「日出処天子」の国書を隋の皇帝に渡したことで知られています。 - 遣唐使船
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日本から唐に派遣された人々を乗せた遣唐使船。定員は150名と言われています。大阪を出発して、瀬戸内海から関門海峡を通り、そこから10日間かけて日本海を渡って唐を目指しました。無事に行って帰れる確率は約25%で命がけの航海でした。篁が不具合のある船には乗りたくないと考えたのは当然だったと考えられます。
- 遣唐副使
- 遣唐使の使節団は基本的に大使(一等官)、副使(二等官)、判官(三等官)、録事(四等官)という構成になっており、篁は二等官に相当する副使でした。漏水した船と取り替えるように迫った上官は大使で、藤原常嗣という藤原北家(藤原房前を祖とする家系)の公卿でした。
- 西道謡(さいどうよう)
- 篁が遣唐使船の上官に抗議して作った漢詩。この漢詩を作ったことで嵯峨上皇の怒りを買って隠岐に配流されました。
残念ながら「西道謡」は現存していないため、内容は明らかではありません。ところで、遣唐船は遭難のリスクが高く、亡くなる人も多かったため、篁は人的損失を度外視した遣唐使の政策に対して疑問を感じていたことが推測されます。 - 悪無善
- 大江匡房が著した『江談抄』に嵯峨天皇の御代に「悪無善」という落書が出回りました。その意味を解読できる者はいませんでしたが、篁に見せると即座に「悪無くば善かりなまし」(嵯峨天皇がいなければよいでしょう)と読み解きました。即答した篁は落書の犯人ではないかと疑われましたが、「子子子子子子子子子子子子」を読めと命じられると、こちらも簡単に読み解いたため、疑いが晴れたといわれています。
- 子子子子子子子子子子子子
- 「猫の子仔猫、獅子の子仔獅子」と読む言葉遊び。嵯峨天皇が発案し、小野篁が解いたと言われています。
- 閻魔庁の官人
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今昔物語集や江談抄などで篁は昼間は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁で亡くなった人を地獄行きにするかを決める裁判の補佐をしていたと記されています。
篁にどうしてこのような伝説が生まれたのか謎ですが、篁が非常に高身長(186cm)であったことや、反骨精神があり、激情に駆られる性格であったこと、また刑罰を所管する刑部大輔を務めていたことなどが影響し、奇怪な伝説が生まれたのかもしれません。
京都市東山区にある寺院:六道珍皇寺には篁が地獄を行き来したという井戸(画像左奥)があります。 - 紫式部と隣同士の墓
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紫式部と小野篁の墓は隣り合っています。実は平安時代末期、愛欲にまみれた作り話をした罪で紫式部は死後に地獄に落ちたと考えられていました。そこで紫式部のファンは彼女の墓を閻魔庁で働いているという小野篁の墓の隣に移設し、紫式部が地獄から救い出されることを願ったという言い伝えられています。画像手前が篁の墓、奥が紫式部の墓です。
- 葛飾北斎による浮世絵
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江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎による作品『百人一首姥かゑとき』です。百人一首の歌を乳母がわかりやすく絵で説明するという趣旨で制作されたものです。
アワビを獲る女性たちと獲ったアワビを船上で待ち受ける男性たちが描かれています。男性たち楽しすぎとツッコミたくなります。遠方には島々が描かれており、歌に詠まれた八十島(瀬戸内海に浮かぶ数多くの島)が再現されています。 - 歌川国芳の『百人一首之内』
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江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。
遣唐使船の雰囲気が伝わってきます。 - 参議
- 参議は「太政官」と呼ばれる行政機関を統括する最高官庁の職の一つ。
詳しくは平安時代の身分と官職をご参照ください。
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