時雨の百人一首

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Translated by WILLIAM N. PORTER
English Audio:LibriVox

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光孝天皇こうこうてんのう

きみがため
はるでて
若菜わかなつむ
わが衣手ころもで
ゆきりつつ

光孝天皇

わかころも
にゆきは
ふりつつ

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きみがためは

15番歌
きみがため はるでて 若菜わかなつむ
わが衣手ころもでゆきりつつ
作者:光孝天皇こうこうてんのう(830年~887年)
出典:古今和歌集
現代語訳
あなたのために寒い春の野に出て、袖に雪がしんしんと降り続く中で若菜を摘んでいます。
解説
『古今和歌集』の詞書に「仁和の帝、皇子におはしましける時、人に若菜たまひける御歌」とあり、この歌は、光孝天皇がまだ親王だったときに誰かに若菜を贈られた際に添えられたものです。
どんな人?
陽成院が藤原基経によって廃位された後、光孝天皇は藤原基経の推薦を受け、55歳で即位しました。しかし、わずか3年の在位期間の後、崩御され、その間の政治の実権は主に藤原基経に握られていました。光孝天皇の人柄は『日本三代実録』に「謙恭和潤、慈仁寛曠」と評され、謙虚で温和、情け深く、心が広い方だったとされています。その穏やかな人柄は歌にもよく表れています。
語句・豆知識
ため
あなたのために
出て
春の野に出かけて
若菜 つむ
若菜を摘んでいる
衣手
私の袖に
降り つつ
雪が降り続いている
光孝天皇の系図
光孝天皇の系図 三条右大臣 貞信公 陽成院 元良親王 源宗于 平兼盛

の番号が付いている人物をクリックすると、その歌人のページに移動します。

光孝天皇は陽成院が譲位後に55歳で天皇に即位しました。自分が天皇を譲位したら陽成天皇の弟である貞保親王が次期天皇になると考え、自分の子供たちを臣籍降下させました。

しかし、関白・藤原基経により、光孝天皇の第7皇子である定省親王(宇多天皇)が天皇に擁立されました。

大和物語にある派生歌
この歌は『大和物語』に収められており、光孝天皇が詠んだ百人一首の歌を参考にしていると考えられています。物語では、良岑の少将(後の僧正遍昭)が雨宿りのため立ち寄った荒れた家で、美しい女性と出会います。翌日、少将のために庭の菜を摘んで料理をふるまう女性。この歌は、そんな女性の貧しい中でも精一杯の心遣いで客人をもてなす、女性のいじらしい心情を表現しています。

原文

きみがため ころものすそを ぬらしつつ
はるにいで つめる若菜わかな『大和物語』

現代語訳

あなたのために服の裾を濡らしながら、春の野に出て摘んできた若菜でございます

雪の中での若菜摘みを躊躇する歌
この歌で山部赤人は、若菜を摘もうと楽しみにしていたのに、雪が降り続いてしまう様子を残念に思っています。

原文

明日あすよりは 春菜はるなまむと めし
昨日きのう今日きょうゆきりつつ 『万葉集』山部赤人

現代語訳

明日から春菜を摘もうと、野原に目印を付けておいたのに、昨日も今日も雪が降り続いているよ。

歌川国芳の『百人一首之内』
歌川国芳による浮世絵
Utagawa Kuniyoshi, CC0, via Wikimedia Commons

江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による浮世絵です。
百人一首の和歌に合わせた情景が描かれています。
古今和歌集の詞書によると、光孝天皇が時康親王の時代に
詠んだ歌だとされています。

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