絵札
取り札
音声
※音声:NHKクリエイティブ・ライブラリー
- 語句・豆知識
-
- 忘れじの
- 忘れないという
- ゆく末までは
- 将来(ずっと変わらないこと)は
- かたければ
- 難しいので
- けふを限りの命ともがな
- 今日を最後にする命であってほしい
「もがな」は願望を表しています。 - 「命ともがな」で終わる歌
- こちらは和泉式部の歌で、今宵今宵と期待させておきながら、来ない人に対して詠まれたものです。
同じように「命ともがな」で終わりますが。こちらは悲劇です。原文
今宵さへ あらばかくこそ 思ほえめ
今日暮れぬまの 命ともがな現代語訳
今宵生きてまたこんなに辛い思いをするのなら
今日の日が暮れないうちに死んでしまいたい - 儀同三司
- 儀同三司とは太政大臣、左大臣、右大臣に准ずる大臣の別名。藤原伊周は准大臣に任命され、自らを儀同三司と称しました。平安時代の位階(身分)と官職についてはこちらをご参照ください。
- 藤原道隆
- 平安中期の公卿。藤原兼家の長男で儀同三司母の夫。父である藤原兼家が亡くなると後を継いで関白になって朝廷を主導するもわずか5年で病に倒れて亡くなりました。死因は、過剰なアルコール摂取によって糖尿病(飲水病 )に罹患した可能性が推定されています。
- 中関白家
-
※家系図はクリックすると拡大表示されます。 貴子の夫を祖とする一族は「中関白家」と呼ばれました。道隆の父である藤原兼家が関白になって、中継ぎ的に道隆が関白になり、藤原道長が摂関政治の栄華を究めたことからそのように名付けられたと言われています。藤原道隆は一時的に権力を手にしますが、身内びいきが過ぎて公卿たちから支持を得られず、道隆の息子・伊周がさらに公卿の反感を買い、一族は没落します。
一方で藤原道長は世渡り上手で、娘を次々に立后して権力基盤を強固にしていきました。そんな道長が詠んだ次の和歌『望月の歌』は有名です。この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
欠けたることも なしと思へばこの和歌は権力者の奢りの歌だと目されることが多いですが、座興であることを考えると「世」は実は「夜」のことで「今宵の主役は私だ」程度の歌だったのかもしれません。最近の研究では、自分の娘と盃を月に見立てて詠んだもので、盃を交わした公卿たちと一緒に娘たちを支えていこうと呼びかけた道長の親心が滲む歌だとする説もあるようです。 - 長徳の変
- 藤原道隆の死後、藤原道長が内覧の宣旨 を得た後に起きた政変。交際していた女性を花山法王に奪われたと誤解した藤原伊周が弟の藤原隆家に相談。隆家は従者を連れて法皇の一行を襲い、法皇の衣の袖を弓で射抜く事件を引き起こしました。この事件は道長に利用され、隆家と伊周は左遷され、中関白家(藤原道隆を祖とする一族)は没落していきました。
- 娘・定子の辞世の句
- 貴子の娘で一条天皇の皇后になった定子は第3子出産後に夭折します。自分の死を予感していた定子は辞世の句を残しています。定子の生涯と辞世の句を特集したコラムがありますので、よかったらご覧ください。
次の和歌へ
前の和歌へ