時雨の百人一首

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Translated by WILLIAM N. PORTER
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恵慶法師えぎょうほうし

八重葎やえむぐら
しげれる宿やど
さびしきに
ひとこそえね
あきにけり

恵慶法師

ひとこそみ
えねあきは
きにけり

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やえ

47番歌
八重葎やえむぐら しげれる宿やどの さびしきに
ひとこそえね あきにけり
作者:恵慶法師えぎょうほうし(生没年不詳)
出典:拾遺和歌集
現代語訳
幾重にもつる草が生い茂る屋敷で寂しい所に人が訪れてくることはありませんが、秋はたしかにやって来たのですね。
解説
『拾遺和歌集』の詞書に「河原院にて、荒れたる宿に秋来といふ心を人々詠みはべりけるに」と記されています。河原左大臣が建てた河原院は、豪華のかぎりを尽くした邸宅でしたが、没後は荒廃しました。彼の曽孫である安法法師は、河原院に住みますが、手入れはせず、八重葎が生い茂る状態でした。ところが、こうした斜陽の気配が色濃く漂う邸宅にかえって創作意欲が刺激された文人が少なからずいたようで、彼らは河原院に集い、たびたび歌会を催しました。
どんな人?
恵慶法師は、播磨国国分寺の講師だったといわれています。また、河原院に住んでいた安法法師の友人で、河原院に出入りしていました。
語句・豆知識
八重葎
幾重にもつる草が
しげれ 宿
生い茂る屋敷で
さびしき
寂しいところに
こそ 見え
人は見当たらないが
けり
秋は来た
完了の助動詞「に」+過去の助動詞「けり」で「~てしまった」又は「~た」と訳します。
恵慶法師の系図
恵慶法師の相関図 源融 光孝天皇 参議等

の番号が付いている人物をクリックすると、その歌人のページに移動します。

恵慶法師は安法法師の友人でした。安法法師は、河原左大臣こと源融曽孫で、河原院の一部をお寺にして住んでいました。

安法法師は、河原院で歌会を催し、その歌会には、平兼盛清原元輔大中臣能宣藤原実方らが参加し、恵慶法師は彼らと交流があったといわれています。

紀貫之が河原院を詠んだ歌
河原院は、かつては華やかな時代を築き、栄華を極めた場所として知られていました。しかし、主を失ったその跡は、かつての輝きを失い、斜陽の気配を色濃く漂わせるようになりました。しかし、その衰退の中にある美しさを見出した歌人は、恵慶法師だけではなかったようです。

原文

きみまさで きみえにし 塩竃しおがま
うらさびしくも えわたるかな 『古今和歌集』紀貫之

現代語訳

ご主人がお亡くなりなって、塩を焼く煙も消えた塩釜の浦は、寂しさが広がる景色となりましたね。

恵慶法師が秋の訪れを詠んだ歌
次の歌は、恵慶法師が秋の野原を詠んだ歌です。『拾遺和歌集』に収められています。

原文

浅茅原あさじはら たままくくず裏風うらかぜ
うらがなしかる あきにけり 『拾遺和歌集』恵慶法師

現代語訳

丈の低い茅の野原の葛の葉を玉巻く状態にさせる裏風ではないけれど、うら悲しい秋は来たのだった。

恵慶法師が冬の夜空を詠んだ歌
次の歌は、恵慶法師が冬の夜空を詠んだ歌です。『拾遺和歌集』に収められています。

原文

あまはら そらさへさへや わたるらむ
こおりゆる ふゆつき 『拾遺和歌集』恵慶法師

現代語訳

天空も冴え渡るように冷え切っているのだろうか。
氷のように見える冬の夜の月よ。

河原院
河原院は平安時代末期に焼失してしまいましたが、現在でも河原院跡があり、当時を偲ぶことができます。
河原院跡河原院跡河原院跡の駒札

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