時雨の百人一首

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三十六歌仙の一覧

三十六歌仙(藤原公任が編纂した『三十六人撰』に採用された36人の歌人)の一覧です。
各人一首ずつ和歌を掲載。歌をクリックすると現代語訳が表示されます。

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3
ほのぼのと 明石あかしうら朝霧あさぎり
しまがくれゆく ふね をしぞおも
柿本人麻呂 かきのもとひとまろ(生没年不詳)

ほのぼのと明るくなる明石の浦に立ち込める朝霧の中を
島に隠れながら行く舟は感慨深い。

ほのほのとあかしのうらのあさきりにしまかくれゆくふねをしそおもう
4
和歌わかうらしお ちくれば かたをなみ
あしべをさして たづわた
山部赤人やまべのあかひと(生没年不詳)

和歌の浦に潮が満ちてくると干潟ひがたがなくなるので
葦が生えている岸辺に向かって、鶴が鳴きながら渡って行きます。

わかのうらにしほみちくれはかたをなみあしへをさしてたつなきわたる
5
をちこちの たづきもしらぬ 山中やまなか
おぼつかなくも 呼子鳥 よぶこどりかな
猿丸太夫さるまるだゆう(生没年不詳)

あちらこちらと見当もつかない山中で
心細げに鳴く呼子鳥よぶこどり だなあ。
※呼子鳥は子を呼ぶような鳴き声が由来とされています。
一説にはこの鳥は郭公 かっこうであるといわれています。

をちこちのたつきもしらぬやまなかにおほつかなくもよふことりかな
6
はるに あさる雉子きぎすひに
おのがありかを そこと れつつ
中納言家持ちゅうなごんやかもち(718年頃~785年)

春の野に餌をあさるきじは妻恋しさに鳴いている
自分の居場所を漁師に知られてしまいながら。

はるののにあさるきしのつまこひにおのかあたりをひとにしれつつ
9
わびぬれば 浮草うきくさ えて
さそ みずあらば いなむとぞおも
小野小町おののこまち(生没年不詳)

悩み苦しんでいるので浮草のように根を断って
誘っていただける人があるならば行こうと思います。
※三河国に赴任することになった文屋康秀(22番)から一緒に行きましょうと誘われたときに小町が詠んだ歌です。ただし、実際に小町が文屋康秀に同行したかは明らかではありません。

わひぬれはみをうきくさのねをたえてさそふみつあらはいなむとそおもふ
12
たらちねは かかれとてしも むばたまの
黒髪くろかみ は なですやありけむ
僧正遍昭そうじょうへんじょう(816年~890年)

母はこのようにと(剃髪するようにと)
私の黒髪を撫ではしなかったでしょうに。
※「むばたまの」は「黒」や「夜」を導く枕詞です。
この歌は出家する際に詠まれました。

たらちめはかかれとてしもむはたまのわがくろかみをなてすやありけん
17
なかに たえてさくらの なかりせば
はるこころは のどけからまし
在原業平朝臣ありわらのなりひらあそん(825年~880年)

世の中に桜がまったくなければ
春を過ごす人の心はどれほどのどかなものでしょうか。

よのなかにたえてさくらのなかりせははるのこころはのとけからまし
18
あきぬと にはさやかに えねども
かぜ おとにぞ おどろかれぬる
藤原敏行朝臣ふじわらのとしゆきあそん(生年不詳~901年頃)

秋が来たと目にはっきり見えませんが
風の音ではっと気づかされました。

あききぬとめにはさやかにみえねともかせのおとにそおとろかれぬる
19
三輪みわやま いかに とし とも
たずぬる人も あらじとおも へば
伊勢いせ(生没年不詳)

三輪でどのようにあなたをお待ちしたらよいでしょう。
年を経ても訪ねてくる人もないと思いますのに。
※「三輪山」は恋人を待つ歌枕ですが、この歌では決別する意味で使われています。

みわのやまいかにまちみむとしふともたすぬるひともあらしとおもえは
21
わたせば やなぎ さくらを こきまぜて
みやこ はるの にしきなりける
素性法師 そせいほうし (生没年不詳)

見渡すと柳と桜がまじり合って
この都こそが春の錦だったのだなあ。

みわたせはやなきさくらをこきませてみやこそはるのにしきなりける
27
みじけゆくままに 高砂たかさご
みね松風 まつかぜ くかとぞ
中納言兼輔 ちゅうなごんかねすけ(877年~933年)

短い夜が更けゆくほどに琴の音がますます身に沁みて
高砂の峰に生える松に吹く風を聞いているかのようです。
※後撰集に夏の夜に清原深養父が琴を弾くのを聞いてという詞書があります。

みしかよのふけゆくままにたかさこのみねのまつかせふくかとそきく
28
常盤ときわなる まつのみどりも はる くれば
いまひとしほの いろまさりけり
源宗于朝臣 みなもとのむねゆきあそん (生年不詳~939年)

変わらない松の色も
春が来たので一段と緑が濃くなりました。

ときはなるまつのみとりもはるくれはいまひとしほのいろまさり
29
いづくとも はるひかりは わかなくに
まだみ吉野よしのやまゆきふる
凡河内躬恒 おおしこうちのみつね(生没年不詳)

どこでも春の光は分け隔てなく射すでしょうに
吉野山ではまだ雪が降っています。

いつくともはるのひかりはわかなくにまたみよしののやまはゆきふる
30
する 野辺のべ 小松こまつの なかりせば
千代ちよ のためしに なにをひかまし
壬生忠岑 みぶのただみね (生没年不詳)

の日の遊びをする野辺に若い松がなかったら
千代の長寿にあやかるために何を引いたらよいでしょう。

ねのひのするのへにこまつのなかりせはちよのためしになにをひかまし
31
吉野よしのやまのしらゆき つもるらし
ふるさとさむく なりまさるなり
坂上是則 さかのうえのこれのり(生没年不詳)

吉野の山には雪が降り積もるだろう。
奈良の都も寒さが一段と増して来るのだから。

みよしののやまのしらゆきつもるらしふるさとさむくなりまさるなり
33
ゆうされば 佐保さほ川原かわら川霧かわぎり
ともまどはせる 千鳥ちどりくなり
紀友則 きのとものり (生年不詳~904年頃)

夕方になると佐保の川原の川霧の中で
友とはぐれてしまった千鳥が鳴いている。

ゆうされはさほのかはらのかはきりにともまとはせるちとりなくなり
34
たれをかも る人にせむ 高砂たかさご
まつもむかしの とも ならなくに
藤原興風 ふじわらのおきかぜ(生没年不詳)

誰を心を通わせられる友にしたらいいのだろう。
長く生きている高砂の松も、昔からの友ではないし。

たれをかもしるひとにせむたかさこのまつもむかしのともならなくに
35
さくら 下風したかぜさむからで
そらられぬ ゆきりける
紀貫之 きのつらゆき (868年~945年)

桜散る木の下の風は寒くなくて
空に知られない桜の雪が降っている。

さくらちるこのしたかせはさむからてそらにしられぬゆきそふりける
40
れてゆく あき形見かたみに おくものは
わがもとゆひの しもにぞありける
平兼盛 たいらのかねもり (生年不詳~990年)

暮れゆく秋が形見に残したものは
元結の髪についた霜(白髪)でしたよ。

くれてゆくあきのかたみにおくものはわかもとゆひのしもにそありける
41
かずとも くさえなむ 春日野かすがの
ただはるまかせたらなむ
壬生忠見 みぶのただみ(生没年不詳)

野焼きをしなくても草は萌えるだろう。
春日野は(春の日の野なのだから)ただ春の陽に任せておいてほしい。

やかずともくさはもえなんかすがのをただはるのひにまかせたらなん
42
あきは はぎのにしきを ふるさとに
鹿しかながら うつしてしかな
清原元輔 きよはらのもとすけ (908年~990年)

秋の野の萩の織りなす錦をふるさとに
鹿の声と一緒に移したいなあ

あきのののはぎのにしきをふるさとにしかのねなからうつしてしがな
43
伊勢いせうみ 千尋ちひろ はまに ひろふとも
ここそなん てふ かひかあるべき
権中納言敦忠 ごんちゅうなごんあつただ (906年~943年)

伊勢の広い浜辺で拾ったとしても
何という貝(甲斐)があるのでしょう。

いせのうみのちひろのはまにひろふともいまはなんてふかひかあるへき
44
ふことの えてしなくば なかなかに
ひとをもをも うらみざらまし
中納言朝忠 ちゅうなごんあさただ (910年~966年)

もし逢うことが全くないなら
あの人のつれなさも我が身のいたらなさも恨まずに済んだのに。

あふことのたえてしなくはなかなかにひとをもみをもうらみさらまし
48
吉野山よしのやま みね白雪しらゆき いつえて
今朝けさ かすみかはるらん
源重之 みなもとのしげゆき(生没年不詳)

吉野山の峰の白雪はいつの間に消えて
今朝は霞に交わっているのだろう。

かぜをいたみいはうつなみのおのれのみくだけてものをおもふころかな
49
千年ちとせまで かぎれるまつも けふよりは
きみがひかれて 万代よろづよ
大中臣能宣朝臣 おおなかとみのよしのぶあそん (921年~991年)

千年までと寿命が限られる松も
今日からはあなたに引かれて万年の命を保つでしょう。
※子の日の祝いとは初子の日のことで、平安時代の貴族はこの日に野に出て小松を根引きして、健康や長寿を願ってお祝いました。

ちとせまでかぎれるまつもきょうよりはきみにひかれてよろずよやへん
かくばかり がたくゆる なか
うらやましくも すめるつき かな
藤原高光 ふじわらのたかみつ (939年頃~994年)

このように過ごし難く思える世の中に
うらやましくも悠然と澄んでいる月だなあ。
※高光はこの歌を詠んだ後に出家しました。

かくばかりへがたくみゆるよのなかにうらやましくもすめるつきかな
きやらで 山路やまじらしつ 郭公ほととぎす
今一声いまひとこえかまほしさに
源公忠 みなもとのきんただ(889年~948年)

通り過ぎることができず山道で日を暮らしてしまった。
ほととぎすのもう一声を聞きたいばかりに。

ゆきやらでやまじくらしつほととぎすいまひとこえのきかまほしさに
ことみね 松風まつかぜ かよふらし
いづれのをより しらべそめけむ
斎宮女御 さいぐうのにょうご(929年~985年)

美しい琴の音に峰の松風の音の調べが調和している。
どちらのを(琴の緒 or 峰の尾)から奏で始められたのだろう。

ことのねにみねのまつかせかよふらしいつれのをよりしらへそめけむ
ひとふしに 千代ちよをこめたる つえなれば
つくともつきじ きみがよはひは
大中臣頼基 おおなかとみのよりもと (886年頃~956年頃)

一節ごとに千年の長寿を込めた杖ですから
いくら突いてもあなたの寿命は尽きないでしょう。
※この歌は醍醐天皇の中宮だった皇太后・藤原穏子 おんし五十賀ごじゅうのが (五十歳を迎えた祝い)のときに詠まれました。

ひとふしにちよをこめたるつゑなれはつくともつきしきみかよはひは
こいしさは おなじこころに あらずとも
いまよひのつき きみざらめや
源信明 みなもとのさねあきら(910年~970年)

恋しく思う気持ちは同じではなくても
今夜の月をあなたも見ているのでしょうか。

あまかぜ ふけゐのうらに すむたづ
などか雲井くもいかえらざるべき
藤原清正 ふじわらのきよただ(生年不詳~958年)

空の風が吹く吹飯浦ふけいのうらにいる鶴が
どうして雲の上に帰らないことがあろうか。

あまつかせふけひのうらにゐるたつのなとかくもゐにかへらさるへき
おもつきなみを かぞふれば
今宵 こよいあき最中もなか なりける
源順 みなもとのしたごう(911年~983年)

池の水面に月が照りさざ波が輝く
月次つきなみ を数えてみれば、今宵は秋の真ん中の中秋の名月であったのだ。
※和菓子の「最中」はこの歌からとられたといわれています。

みのおもにてるつきなみをかそうれはこよいそあきのもなかなりける
きにけり 山里やまざとはな
垣根に消えぬ 雪と見るまで
藤原元真 ふじわらのもとざね(生没年不詳)

山里にうつぎが花盛りだ
垣根に消えない白い雪のように。

さきにけりわかやまさとのうのはなはかきねにきえぬゆきとみるまて
岩橋いわはしよるちぎりも えぬべし
くるわびしき 葛城かつらぎかみ
小大君こおおきみ(生没年不詳)

久米路の岩橋の工事が途中で終わったように
私たちの関係は途絶えてしまうでしょう。
あなたに顔を見られてしまうから夜が明けるのはつらい。
容姿を恥じた葛城かつらぎ の神のように。
役行者 えんのぎょうじゃ (修験道の開祖といわれる人物)が修行で行き来する人たちのために葛城山と吉野の金峯山の間に橋を架けようと計画。そこで容貌の醜いとされる葛城の神々に手伝ってもらいました。しかし、葛城の神々は容貌を恥じて夜しか働きません。昼間も働いてほしいと言う役行者でしたが、一言主 ひとことぬし は理解を得られないことに腹を立てました。このため両者の間に亀裂が入り、工事が中断しました。上記の歌はこの伝説を踏まえて詠まれた歌です。岩橋は恋が中途絶えする場合に和歌で引用されることが多いです。

いははしのよるのちきりもたえぬへしあくるわびしきかつらきのかみ
有明ありあけつきひかりを つほどに
わがのいたく けにけるかな
藤原仲文 ふじわらのなかふみ(923年~992年)

有明の月の光を待つうちに
夜わ更けわたり、私も年を取ったものだよ。

ありあけのつきのひかりをまつほどにわかよのいたくふけにけるかな
秋風あきかぜくにつけても とはぬかな
おぎならば おとはしてまし
中務 なかつかさ (912年頃~991年頃)

秋風が吹く季節になってもあなたは訪れない。
おぎの葉ならば音を立てるでしょうに。

あきかせのふくにつけてもとはぬかなおきのはならはおとはしてまし

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