時雨の百人一首

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平安時代の身分と官職

平安時代の官職や位階(官人の序列を示す等級)についてまとめています。 皇族後宮摂政・関白中央官制地方官制武士僧侶その他番外編:位階を与えられた動物で分類しています。

皇族

称号 定義
上皇じょうこう 譲位した天皇。太上天皇の略
治天ちてんきみ 院政を行う上皇。
複数の上皇が同時に存在する場合において政治の実権を握る上皇。
太皇太后たいこうたいごう 先々代の天皇の正妻
皇太后こうたいごう 先代の天皇の正妻
法皇じょうこう 出家した上皇。太上法皇の略
いん 上皇・法皇・女院の尊称
※もともとは上皇・法皇・女院の御所を指す言葉でした。
女院にょいん 皇后や皇太后(天皇の母や先帝の皇后)で上皇と同じ待遇を受ける者
天皇てんのう 日本の君主
親王しんのう 天皇の兄弟、皇子
内親王ないしんのう 天皇の姉妹、皇女
じょおう 三世以下の嫡男系嫡出の子孫の男性
女王じょおう 三世以下の嫡男系嫡出の子孫の女性
若宮わかみや 幼い皇子
東宮とうぐう/春宮はるのみや 皇太子
もうけのきみ 皇太子
中宮ちゅうぐう 天皇の正妻(皇后の別称)
皇后こうごう 天皇の正妻(中宮の別称)
斎宮さいぐう 伊勢神宮に奉仕した皇女
斎院さいいん 賀茂神社(上賀茂神社、下賀茂神社)に奉仕した皇女

後宮

呼称 定義
女御にょうご 中宮に次ぐ天皇の夫人
(中宮候補になり得る)
更衣こうい 女御に次ぐ天皇の夫人
(中宮候補になり得ない)
御息所みやすどころ 天皇の寵愛を受ける女性
女房にょうぼう 宮中や貴族の屋敷で高貴な人の身の回りの世話や教育係を務める女性
召人めしうど 男女の関係のある女房
かみ女房にょうぼう 天皇に仕える女房。内侍司に所属する女性。
尚侍ないしのかみ(従三位) > 典侍ないしのすけ(従四位) > 掌侍ないしのじょう(従五位下)と
階層が分かれる
みや女房にょうぼう 中宮(正妃)に仕える女房。后やその庇護者から私的に雇われる女性。
上臈じょうろう(三位以上の上級貴族出身) > 中臈ちゅうろう (四位・五位の中級貴族出身) > 下臈げろうと階層が分かれる
女房三役にょうぼうさんやく 宣旨・御匣殿(御匣殿の別当)・尚侍ないしのかみは、女房の中で重職で、女房三役と言います。
宣旨せんじ 女房の筆頭。尚侍ないしのかみに相当する最高職で、第一秘書のような役割をしたり、女房集団を統括したりしました。「宣旨女房」とも呼ばれました。
御匣殿みくしげどの 「御匣殿」は、後宮で衣服や裁縫を担当する女官たちが働いていた場所のことですが、その場所を取り仕切っていた女性は、「御匣殿の別当」と呼ばれ、略して「御匣殿」とも称されました。
命婦みょうぶ 五位以上の女官と、五位以上の役人の妻
女嬬 「にょじゅ」または「めのわらわ」と読み、中務に所属し、雑用を担当した13歳~30歳までの女性
命婦みょうぶ 五位以上の女官と、五位以上の役人の妻

女房の「房」は部屋のことで、女房は自分の部屋(屏風や几帳で区切った空間)を与えられ、住み込みで働いていました。

後宮の場所

後宮

上図はクリックすると拡大表示されます。

後宮は内裏の北側の色が塗られているところです。
天皇や后の住まいで「七殿五舎」と
呼ばれることもあります。
「七殿」とは
登華殿とうかでん弘徽殿こきでん貞観殿じょうがんでん 常寧殿じょうねいでん
承香殿じょうきょうでん
麗景殿れいけいでん宣耀殿せんようでんのことです。
「五舎」とは
襲芳舎しほうしゃ雷鳴壺かみなりのつぼ)・凝花舎ぎょうかしゃ 梅壺うめつぼ)・
飛香舎ひぎょうしゃ藤壺ふじつぼ )・淑景舎しげいしゃ桐壺きりつぼ)・

昭陽舎しょうようしゃ梨壺なしつぼ)のことです。

内侍司

内侍司は後宮の役所です。下表は内侍司の三等官制です。

階級 官職
長官かみ
一等官
尚侍ないしのかみ(従三位)
次官すけ
二等官
典侍ないしのすけ(従四位)
判官じょう
三等官
掌侍ないしのじょう(従五位下)

内侍司には主典さかん(四等官)に相当する官職はありませんでした。

摂政・関白など

摂政や関白は律令の令制に規定がなく新設された令外官りょうげのかんと呼ばれる官職です。藤原基経の子孫である藤原北家嫡流によって世襲され、絶大な権力を誇りました。

称号 定義
摂政せっしょう 幼少の天皇に代わって政務を執る。
関白かんぱく 成年後の天皇を補佐して(ほぼ実権を握って)政務を執る。
内覧ないらん 関白に準じる地位。天皇に奏上そうじょうする文書、天皇が裁可さいかする文書を事前に目を通すなどして天皇を補佐する。

中央官制

平安時代の中央官制は、国家の祭祀を担当する神祇官しんぎかんと国政を統括する太政官だじょうかん があり、太政官の下に八つの省が置かれる二官八省にかんはっしょうと呼ばれる体制をとっていました。

二官八省の図

上図はクリックすると拡大表示されます。

少納言しょうなごん」は、かつては侍従じゅじゅうを兼任する例があり、重職でしたが、「蔵人くろうど」ができると職権がなくなりました。
内大臣 ないだいじん」、「准大臣じゅんだいじん」(唐名:儀同三司)、「中納言ちゅうなごん 」、「参議さんぎ(唐名:宰相さいしょう)」は、律令の令制に規定がなく新設された官職で「令外官りょうげのかん」といいます。
六衛府は当初、衛門府えもんふ左右衛士府さゆうえじふ 左右兵衛府さゆうひょうえふで構成され、五衛府ごえふ と呼ばれていましたが、統廃合されて811年以降は図のように六衛府ろくえふになり定着しました。

神祇官

二官八省では神祇官と太政官は対等に見えますが、神祇官は八省と同格で、太政官の指揮を仰ぐ立場だったというのが実情です。
下表は神祇官の四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
はく
次官すけ
二等官
大副たいふ少副しょうふ
判官じょう
三等官
大祐だいじょう少佑しょうじょう
主典さかん
四等官
大史だいし少史しょうし

神祇官の位階は官位相当表をご覧ください。

太政官

太政官は中央の最高機関で行政を扱い、八省やその他の役所を統括しました。
下表は太政官の四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
太政大臣だじょうだいじん左大臣さだいじん右大臣うだいじん内大臣ないだいじん
次官すけ
二等官
大納言だいなごん中納言ちゅうなごん参議さんぎ宰相さいしょう
判官じょう
三等官
少納言しょうなごん左大弁さだいべん右大弁うだいべん左中弁さちゅうべん右中弁うちゅうべん左少弁さしょうべん右少弁うしょうべん
主典さかん
四等官
大外記だいげき少外記しょうげき左大史さだいし右大史うだいし左少史さしょうし右少史うしょうし

省の位階は官位相当表をご覧ください。

太政大臣は「則闕そっけつかん」とも呼ばれ、適任者がいない場合は欠員になりました。
特にこれといった仕事はなく、欠員状態が常でした。

権大納言のように頭に「権」が付くのは、定員を超えて任官された者です。

少納言は天皇の秘書的な存在でしたが、蔵人くろうどどころが設置されると閑職になりました。

省の四等官制

省は、太政官に属する行政官庁で8つありました。
下表は省の四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
きょう
次官すけ
二等官
大輔たいふ少輔しょう
判官じょう
三等官
大丞たいじょう少丞しょうじょう
主典さかん
四等官
大録だいさかん少録しょうさかん

省の位階は官位相当表をご覧ください。

官位相当表

下表は二官八省の官職と位階を表したものです。官職は位階(官人の序列を示す等級)に応じて任官される「官位かんい相当そうとう せい」という仕組みが採用されていたため、官人にとって位階は重要でした。

位階 二官 八省
位階 神祇官 太政官 中務省 式部省、治部省、
民部省、兵部省、
大蔵省、宮内省
刑部省
正一位しょういちい 太政大臣
従一位じゅいちい
正二位しょうにい 左大臣
右大臣
内大臣
従二位じゅにい
正三位しょうさんみ 大納言
従三位じゅさんみ 中納言
権中納言
正四位しょうしい じょう
正四位しょうしい 参議(宰相)
従四位じゅしい じょう 大弁
従四位じゅしい
正五位しょうごい じょう 左中弁
右中弁
大輔
正五位しょうごい 左小弁
右小弁
大輔 大輔
大判事
従五位じゅごい じょう 少輔
従五位じゅごい 大副 少納言 侍従
大監物
少輔 少輔
正六位しょうろくい じょう 少副 左弁大史
右弁大史
大内記
正六位しょうろくい 少祐 大丞 大丞 大丞
中判事
従六位じゅろくい じょう 大祐 少丞
中監物
少丞 少丞
従六位じゅろくい 少判事
正七位しょうしちい じょう 大外記
左弁少史
右弁少史
大録
中内記
大録 大録
正七位しょうしちい 少監物
大主鈴
判事大属
従七位じゅしちい じょう 少外記
従七位じゅしちい 大典鑰 大解部
正八位しょうはちい じょう 少録
少内記
少主鈴
少録 少録
正八位しょうはちい 大史 判事少属
中解部
従八位じゅはちい じょう 少史 少典鑰
従八位じゅはちい 少解部
大初位だいそい じょう
大初位だいそい
少初位しょうそい じょう
少初位しょうそい

位階が五位以上を貴族、三位以上と参議(宰相)は公卿くぎょう上達部かんだちめ と呼ばれました。六位以下は貴族ではなく、地下人じげびとと呼ばれました。

位階のピラミッド構造

次のピラミッドの図は位階(官人の序列を示す等級)を表したものです。位階は全部で30段階あり、上位の14段階まで(正一位~従五位下)が貴族とされていました。平安時代の貴族は全人口の0.005%に満たないほどだったといわれています。

位階

上図はクリックすると拡大表示されます。

位階はこのようなピラミッド構造になっています。貴族は試験や仕事の評価によって位階を上げることができましたが、「蔭位おんい せい 」と呼ばれる親の位が高いとその子供は高い位からキャリアをスタートできるという不平等な仕組みが存在し、世代が変わっても位階の流動が起きにくくなっていました。五位と六位の差は収入面でも歴然とした違いがあり、およそ4倍以上の差があったといわれています。

左図をクリックすると拡大表示されます。

近衛府このえふ

近衛府は奈良時代に設置され、その官職は律令の令制に規定がない令外官りょうげのかん です。近衛府には、左近衛府さこんえふ右近衛府うこんえふ がありました。内裏内を警備したり、行幸(天皇のお出かけ)の際は行列に加わりました。下表は近衛府このえふの四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
大将たいしょう(従三位)
次官すけ
二等官
中将ちゅうじょう(従四位) >
少将しょうしょう(正五位)
判官じょう
三等官
将監しょうげん(従六位)
主典さかん
四等官
将曹しょうそう(従七位)

百人一首 53番 右大将道綱母は、息子の藤原道綱が中納言に昇進後に右近衛府うこんえふ の長官である大将を兼ねていたため、百人一首では「右大将道綱母」とされています。

衛門府えもんふ

衛門府えもんふ は、大内裏内を警備し、行幸(天皇のお出かけ)の際は行列に加わりました。
衛門府えもんふには、左衛門府 さえもんふ右衛門府うえもんふがありました。
下表は衛門府えもんふ の四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
衛門督えもんのかみ(正五位上)
次官すけ
二等官
衛門佐えもんのすけ(従五位下)
判官じょう
三等官
衛門大尉えもんのだいじょう(従六位下) > 衛門少尉えもんのしょうじょう(正七位上)
主典さかん
四等官
衛門大志えもんのだいさかん(正八位下) > 衛門少志えもんのしょうさかん(従八位上)

百人一首 49番 大中臣能宣の歌に登場する衛士えじは、衛門府えもんふ に所属していました。

兵衛府ひょうえふ

兵衛府ひょうえふ は、内裏周囲を警備し、行幸(天皇のお出かけ)や行啓(皇太子や皇后等のお出かけ)の際は行列に加わりました。兵衛府ひょうえふには左兵衛府 さひょうえふ右兵衛府 うひょうえふ がありました。
下表は兵衛府ひょうえふの四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
兵衛督ひょうえのかみ(従五位上)
次官すけ
二等官
兵衛佐ひょうえのすけ(正六位下)
判官じょう
三等官
兵衛大尉ひょうえのだいじょう(正七位下) > 兵衛少尉ひょうえのしょうじょう(従七位上)
主典さかん
四等官
兵衛大志ひょうえのだいさかん(従八位上) > 兵衛少志ひょうえのしょうさかん(従八位下)

西行は、出家する前は左兵衛尉を務めていました。

近衛府・兵衛府・衛門府の警備範囲

近衛府・兵衛府・衛門府による宮中の警備範囲を色分け表示しています。

近衛府・兵衛府・衛門府の警備範囲
内裏の内側
近衛府が警備

内裏の周囲
兵衛府が警備

大内裏の内側
衛門府が警備

弾正台だんじょうだい

弾正台だんじょうだい は、独立した機関で官僚の不正を監視したり、京内の風俗の取り締まりを担当しました。検非違使けびいしが設置されると、弾正台の役割は検非違使 けびいしに吸収され、弾正台だんじょうだいは形骸化しました。下表は弾正台だんじょうだい の四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
かみ(従四位上)
次官すけ
二等官
大弼だいすけ(従四位下) >
少弼しょうすけ(正五位下)
判官じょう
三等官
大忠だいじょう(正六位上) >
少忠しょうじょう(正六位下)
主典さかん
四等官
大疏だいさかん(正七位上) >
少疏しょうさかん(正八位上)

検非違使けびいし

検非違使は、嵯峨天皇の御代に京の治安維持のために設置された律令の令制に規定がない官職で「令外官りょうげのかん 」です。後に刑部省、弾正台、京職などの仕事を吸収し、裁判も取り扱うようになりました。また、検非違使は衛門府の官人が任官されたため、衛門府の官人としては四等官制の序列だけがありました。下表は検非違使 けびいし の四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
別当べっとう
次官すけ
二等官
すけ
判官じょう
三等官
大尉だいじょう少尉しょうじょう
主典さかん
四等官
大志だいさかん少志しょうさかん

検非違使けびいしのしもべには、元罪人で犯罪者を探したり、捕縛したり、拷問などを担当する放免ほうめん と呼ばれる人たちがいました。

馬寮めりょう

馬寮は、太政官直属の機関で、官馬の飼養・調習や馬具、諸国の牧を管理していました。
左馬寮さまりょう右馬寮うまりょうというように左右に分かれていました。下表は馬寮めりょうの四等官制です。
四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
かみ(従五位上)
次官すけ
二等官
すけ(正六位下)
判官じょう
三等官
大允だいじょう(正七位下) >
少允しょうじょう(従七位上)
主典さかん
四等官
大属だいさかん(従八位上) >
少属しょうさかん(従八位下)

百人一首 82番 道因法師馬寮めりょう 右馬助うまのすけ を務めました。

陰陽寮おんみょうりょう

陰陽寮は、中務省に属する機関の1つで、占い・天文・時・暦の編纂を担当しました。下表は陰陽寮おんみょうりょうの四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
陰陽頭おんみょうのかみ(従五位下)
次官すけ
二等官
陰陽助おんみょうのすけ(従六位上)
判官じょう
三等官
陰陽大允おんみょうのだいじょう(従七位上) > 陰陽少允おんみょうのしょうじょう(従七位上)
主典さかん
四等官
陰陽大属おんみょうのだいぞく(従八位下) > 陰陽少属おんみょうのしょうぞく(大初位上)

占い官である陰陽師も陰陽寮に属しました。定員は6名で位階は従七位上でした。陰陽師として有名な安倍晴明は、占いの才能が認められ、摂関家からの信頼が厚く、従四位下にまで昇進し、位階は、陰陽頭よりも上でした。

遣唐使けんとうし

下表は遣唐使けんとうしの使節員の四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
大使たいし
次官すけ
二等官
副使ふくし
判官じょう
三等官
判官はんがん
主典さかん
四等官
録事ろくじ

第3回の遣唐使(白雉5年)と第9回の遣唐使(霊亀2年)では、大使の上に「押使」が置かれ、第8回の遣唐使(大宝2年)では、大使の上に「執節使」という官職が置かれました。

百人一首 7番 阿倍仲麻呂は使節員ではありませんが、遣唐留学生として唐に渡りました。
百人一首 11番 参議篁は唐には渡っていませんが、遣唐副使に任ぜられました。
百人一首 24番 菅家も唐に渡っていませんが、遣唐大使に任ぜられました。

地方官制

地方官は国司と呼ばれました。国司の主な任務は農民から税を徴収することでした。

国司

下表は国司の四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職 職務
長官かみ
一等官
かみ 祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司る長官
次官すけ
二等官
すけ 長官の補佐
判官じょう
三等官
大掾だいじょう少掾しょうじょう 公文書の審査など
主典さかん
四等官
さかん 公文書の作成・記録など

各国の等級

各国は国力に応じて 大国上国中国下国に格付けされていました。

各国の等級を表した地図

国司の位階と官職

国司の官職は、位階(官人の序列を示す等級)に応じて任官されました。位階と官職は国のランクにより、定められていました。

位階 大国 上国 中国 下国
従五位
従五位
正六位
正六位
従六位
従六位
正七位
正七位 大掾
従七位 少掾
従七位
正八位
正八位
従八位 大目
従八位 少目
大初位
大初位
少初位
少初位

勘解由使かげゆし

勘解由使かげゆし は、桓武天皇の御代に国司が不正をしないように監視するために設置されました。国司の交代時に引継ぎ文書を審査しました。律令の令制に規定がない「令外官りょうげのかん 」です。
下表は勘解由使の四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
長官かみ(従四位下)
次官すけ
二等官
次官すけ(従五位下)
判官じょう
三等官
判官じょう(従六位下)
主典さかん
四等官
主典さかん(従七位下)

大宰府

九州の筑前国に設置された役所で、外交や軍事が主任務でした。
下表は大宰府の四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
そち権帥ごんのそち(従三位)
平安時代のそちは親王の名誉職のため、権帥ごんのそちが実質の長官。
次官すけ
二等官
大弐だいに(正五位上) >
少弐しょうに(従五位下)
判官じょう
三等官
大監だいげん(正六位下) >
少監しょうげん(従六位上)
主典さかん
四等官
大典だいてん(正七位上) >
少典しょうてん(正八位上)

百人一首 58番 大弐三位の夫である高階成章は大宰大弐を務めました。

京職(きょうしき)

京職は京都の司法・警察・民政などを司った役所。京内を左右に分け、左京職・右京職に分かれます。京の東が左京、京の西が右京です。
下表は職の四等官制です。四等官制についてはこちらをご覧ください。

階級 官職
長官かみ
一等官
大夫だいぶ(従四位下)
次官すけ
二等官
すけ(従五位下)
判官じょう
三等官
大進だいしん(従六位下) >
少進しょうしん(正七位上)
主典さかん
四等官
大属だいぞく(正八位下) >
少属しょうそく(従八位上)

百人一首 63番 左京大夫道雅79番 左京大夫顕輔は名前のとおり、左京職 さきょうしきの長官である左京さきょう大夫だいぶを務めました。

武士

武士は、「さぶらふ人」というのが語源とされており、本来は貴族のそばでお仕えする人を意味していました。しかし、次第に国家規模で武力を使った解決が求められるようになると、朝廷は武士に位や官職を授け、こうして職能として武士が誕生しました。

呼称 定義
滝口たきぐち武士ぶし 蔵人所の下で内裏の警護をした武士。滝口とは宮中の下水が地下に流れるところの美称で、滝口近くにある詰め所に宿直していました。内裏の警備は近衛府が担当していましたが、平城上皇と嵯峨天皇が争った薬子 くすこ へんがあってから蔵人所管轄で滝口の武士が警備するようになりました。
北面ほくめん武士ぶし 院の御所の北面に詰め、院中の警備をした武士で白河上皇のときに創設されました。
西面さいめん武士ぶし 院の御所の西面に詰め、院中の警備をした武士で後鳥羽上皇のときに創設されましたが、承久の乱の後で廃止されました。

百人一首 86番 西行は出家する前は北面の武士でした。

僧綱そうごう

全国の仏教の僧尼を管理するために国家から任命される官職で、次のように3階級ありました。

僧階 僧官
法印ほういん
一等官
大僧正だいそうじょう権大僧正ごんのだいそうじょう僧正そうじょう権僧正ごんのそうじょう
法眼ほうげん
二等官
大僧都だいそうづ大僧都だいそうづ権大僧都ごんのだいそうづ権少僧都ごんのしょうそうづ
法橋ほっきょう
三等官
大律師だいりっし律師りっし権律師ごんのりっし

僧侶

呼称 定義
座主ざす 天台宗を代表する僧侶。
入道にゅうどう 皇族や貴族が仏門に入って僧や尼になること。
法師ほうし 法師とは、仏法によく通じ、人々を導く師となる者のことです。
講師こうじ 経典の講義をする僧。
山伏やまぶし 山岳で修行する僧。
護持僧ごじそう 天皇の身体護持のために祈祷を行う僧。

前大僧正慈円は比叡山延暦寺の天台座主を務めました。

法性寺入道前関白太政大臣は関白を辞任してから法性寺で出家しました。

前大僧正行尊は山伏修行をしているときに百人一首に採られた歌を詠みました。

その他

呼称 定義
大宮人おおみやびと 宮廷につかえる人、殿上人。宮人みやびとともいいます。大宮は皇居・神宮の尊敬語です。
君達きんだち公達きんだち 公卿の子女、公卿の僧侶のことです。
殿上人てんじょうびと 殿上人てんじょうびとは、天皇の住まいである清涼殿に昇ることを許された人のことを指します。一般的に五位以上の人は昇殿を許されました。また、六位の蔵人も天皇の秘書官であったため、昇殿を許されました。殿上人てんじょうびとは、雲上うんじょうびと雲客うんかくと呼ばれることもあります。
黄門こうもん 中納言の秦漢の職名。江戸時代の徳川光圀が黄門様と呼ばれていたことが有名ですが、『徒然草』の中で権中納言の藤原隆資という人物が「四条黄門」として登場しています。
皇太后宮大夫こうたいごうぐうだいぶ 皇太后宮職(皇太后宮に関する事務をつかさどった役所)の長官。藤原俊成は皇太后宮大夫を務めました。
こう 太政大臣、左大臣、右大臣。
けい 大納言、中納言、参議(宰相)、三位以上の貴族。
公卿くぎょう 公と卿を合わせたもの。公家こうけと呼ばれることもあります。
通貴つうき 四位、五位の中級貴族。
地下人じげびと 朝廷に仕える者で清涼殿殿上の殿上間に昇ることを許されない者のことです。
さぶらひ 元々は上級・中級貴族に仕えていた下級貴族のことです。下級貴族の中に武士が混じっており、源頼朝や平清盛の先祖たちも元々は侍として上級貴族に仕えていたといわれており、平安時代中期頃から「侍」は武士を意味するようになったといわれています。「侍」の語源は「さぶら ふ」という動詞で、高貴な人の側近くで仕えるという意味を持ちます。
雑色ぞうしき 宮中で雑務を行う使用人。
やつがれ 貴族に仕えて雑務を行う使用人。
市人いちびと 平安京の官設市場である「東市」、「西市」で商売を許可された男性。
市女いちめ 平安京の官設市場である「東市」、「西市」で商売を許可された女性。
販女ひさぎめ 行商の女性。
馬借ばしゃく 馬を使う運送業者。
車貸くるまが 牛車を使う運送業者。
借上かしあげ 金融業を行う下級僧侶。
儀同三司ぎどうさんし 太政大臣、左大臣、右大臣に准ずる大臣の別名。藤原伊周が准大臣に任命され、自らを儀同三司と称していたことがよく知られており、儀同三司と言えば藤原伊周を指すことが多いようです。
儀同三司母は伊周の母です。
征夷大将軍せいいたいしょうぐん 東国地方で反乱を起こす蝦夷えみしを鎮圧するための征討軍の将軍。
蝦夷えみし 東国地方に居住する朝廷に服属しない人々。
俘囚ふしゅう 朝廷に従属した蝦夷。
受領ずりょう 現地赴任する国司のトップ。現地の支配を行う最高責任者のこと。
遥任ようにん 現地赴任しない国司。都にいて収入だけを得た。
郡司ぐんじ 国司のもとにおかれ、地方行政の基礎単位となる郡を治める者。在地の豪族が任命されました。
朝臣あそん 五位以上の位階を持つ者につける敬称。最初は皇族から分家した貴族に付けられていました。三位以上は姓の下、四位、五位は名の下に付けたといわれていますが、諸説あります。
侍従じじゅう 高貴な立場の人物に付き従い、身の回りの世話などをする者のこと。
太夫 五位以上の位階を持つ者
読み方は「たゆう」または「たいふ」
蔵人頭くろうどのとう 天皇の秘書官である蔵人のトップ。定員2名で、内裏の警備を行う武官である近衛から1名、文書事務を司る弁官から1名選ばれるのが通例でした。
頭中将とうのちゅうじょう 蔵人頭と近衛中将(近衛府の次官)を兼任した者の通称
頭弁とうのべん 蔵人頭と弁官(少弁、中弁、大弁)を兼任した者の通称
文章博士もんじょうはかせ 大学寮の教官
文章得業生もんじょうとくごうしょう 文章生から優秀者2名が選出され、文章博士の候補生とされた学生
文章生もんじょうしょう 擬文章生からさらなる試験に及第した学生
擬文章生ぎもんじょうしょう 大学寮と呼ばれる律令制のもとで作られた式部省が直轄する官僚育成機関で寮試と呼ばれる試験に及第した学生
舎人とねり 皇族や貴族の身辺に仕えて、警備や雑用に携わる下級官人
関守せきもり 関所の番人
源兼昌の歌に「須磨の関守」が登場します。
防人さきもり 筑紫・壱岐・対馬など北九州を防衛した兵士
散位さんい 位階はあるが官職のない者
きたかた 公卿など身分の高い人の正妻の敬称

番外編:位階を与えられた動物

呼称 定義
五位鷺ごいさぎ 醍醐天皇が神泉苑に御幸になったとき召使い捕らえるよう命じられました。召使いが近づくと鷺は飛び立とうとしましたが、「帝の勅命であるぞ」と呼びかけられると鷺はひれ伏しました。天皇は神妙な鳥だと感嘆され、正五位を授けたといわれています。
命婦の御許みょうぶのおとど 命婦みょうぶとは五位以上の位階を持つ女官、また五位以上の位階を持つ官人の妻のこと。一条天皇の飼い猫は官位を授けられ、「命婦の御許みょうぶのおとど 」と呼ばれました。「御許おとど」は高貴な女性への敬称です。


補足:四等官制について

役所の管理職にあたる官人は長官かみ(一等官)・次官すけ (二等官)・判官じょう(三等官)・主典さかん(四等官)の四階級に分けて職務内容を定める「四等官制 しとうかんせい 」が採用されていました。
四等官の表記は役所によって使われる漢字が異なりますが、原則的にすべて「かみ」、「すけ」、「じょう」、「さかん」と読みます。

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