時雨の百人一首

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『光る君へ』に登場する和歌

大河ドラマ『光る君へ』に引用された和歌をご紹介します。

第2回「めぐりあい」

まひろ(紫式部)が書写していた歌です。この歌は、彼女の祖父である藤原兼輔が作ったものです。『源氏物語』では、この歌が多く引用されています。

原文

ひとおやこころやみに あらねども
おもみちに まどひぬるかな
出典:『後撰和歌集』藤原兼輔

現代語訳

人の親の心は闇というものではないけれど、子を思う道は闇のように迷ってしまうものですよ。

絵師のもとで恋文の代筆をするまひろが書いていた和歌です。
この歌は、『源氏物語』の「夕顔」の帖に登場する光源氏の一首です。

原文

りてこそ それかともめ たそかれに
ほのぼのつる はな夕顔ゆふがほ
出典:『源氏物語』第4帖「夕顔」

現代語訳

近くに寄ってそれかどうかお確かめください。黄昏にぼんやり見えた夕顔の花を。

第3回「謎の男」

次の歌は、源倫子が主催する和歌を学ぶ集いにて、ある女房が『古今和歌集』の歌を自作の歌のように詠み、赤染衛門にたしなめられる場面で引用されました。

原文

てもまた またもまくの ほしければ
なるるをひといとふべらなり
出典:『古今和歌集』 詠み人知らず

現代語訳

逢ってもまた逢いたくなるので、親しくなるのをあなたは避けているのでしょうね。

次の歌は、源倫子が主催する和歌を学ぶ集いにて、『古今和歌集』をすべて暗記しているという赤染衛門が倫子に促されてためしに詠む場面で引用されました。

原文

あきのみなりけり ふといへば
ことぞともなく けぬるものを
出典:『古今和歌集』小野小町

現代語訳

秋の夜も名ばかりでしたね。
あなたと逢うとあっけなく夜が明けてしまったのだから。

第6回「二人の才女」

次の歌は、藤原道長がまひろ(紫式部)に贈った一首です。
伊勢物語に出てくる和歌の「大宮人おおみやびと」の部分が「恋しき人」にアレンジされています。

原文

ちはやぶる かみ斎垣いかきえぬべし
こいしきひとまくほしさに
出典:『伊勢物語』第71段

現代語訳

神聖な垣根といえども越えてしまいそうです。恋しいあなたを一目見たさに。

第10回「月夜の陰謀」

藤原道長は、まひろ(紫式部)に次の和歌を一首ずつ贈りました。時間が経つにつれ、道長の想いが強くなっている様子が和歌の内容からも伝わってきます。

原文

おもふには しのぶることぞ けにける
いろにはでじと おもひしものを
出典:『古今和歌集』詠み人知らず

現代語訳

愛しく思う気持ちをこらえる心が負けてしまった。顔色に出すまいと思っていたのだけれど。

原文

ぬるいのち きもやすると こころみに
たまばかり はむとはなむ
出典:『古今和歌集』藤原興風

現代語訳

死んでしまいそうな命だ。生き返るかもしれないから試しにほんの少しでも逢いたいと言ってほしい。

原文

いのちやは なにぞはつゆの あだものを
ふにしかへば しからなくに
出典:『古今和歌集』紀友則

現代語訳

「命」それが何だというのでしょう。露のように儚いものではないでしょうか。 あなたに逢えるならば、何も惜しくはありません。

第14回「星落ちてなお」

藤原兼家が亡くなる直前に人生を回想しながら、寧子(道綱母)の歌を詠みました。この歌は百人一首に選ばれています。

原文

なげきつつ ひとりくる
いかにひさしき ものとかは
出典:『拾遺和歌集』右大将道綱母

現代語訳

あなたが来なくて嘆きながら一人で寝る夜。
その夜を明かすまでの時間がどれほど長いかわかりますか。

第17回「うつろい」

藤原道隆が亡くなる直前に妻・貴子(儀同三司母)の歌を詠み「この歌で貴子と決めた」と打ち明けました。この歌も百人一首に選ばれています。

原文

わすれじの ゆくすえまでは かたければ
今日きょうかぎりの いのちともがな
出典:『新古今和歌集』儀同三司母

現代語訳

「ずっと忘れない」という言葉は難しい約束でしょうから、その言葉を聞いた今日限りの命だったらいいのにと思ってしまいます。

第23回「雪の舞うころ」

次の歌は、一条天皇が藤原行成と会話する場面で、中宮・定子が好きな歌として引用されました。

原文

夢路ゆめぢにも つゆやおくらむ もすがら
かよへるそでの ひちてかわかぬ
出典:『古今和歌集』紀貫之

現代語訳

あなたに逢う夢路でも露はおりるのでしょうか。夜通し通う袖が濡れて乾くことがありません。

次の歌は、越前にやってきたまひろ(紫式部)が都を懐かしんで詠みました。

原文

ここにかく 日野ひのすぎむら うづゆき
小塩をしほまつ今日けふやまがへる
出典:『紫式部集』

現代語訳

ここ越前ではこのように日野山の杉林は雪に埋もれんばかり。都の小塩山の松にも今日は雪が降り積もっているのでしょうか。

第24回「忘れえぬ人」

次の歌は、まひろ(紫式部)の友人・さわが亡くなったことを知らせる手紙の中にあった歌です。

原文

きめぐり ふを松浦まつらかがみには
たれをかけつつ いのるとか
出典:『紫式部集』

現代語訳

めぐりめぐって、また会えることを松浦の鏡神社に誰のことを思って祈っているのかわかりますか?

第25回「決意」

藤原公任が詠んだ下の句に清少納言が上の句を付けた歌です。清少納言は、白居易の「南秦なんしんゆき」の一説を踏まえ、上の句を詠みました。詳しくはこちらをご参照ください。

原文

そらさむはなにまがへて ゆき
すこはるある 心地ここちこそすれ
出典:『枕草子』

現代語訳

空が寒々しいので、花に見間違えるように舞い散る雪に少し春らしさが感じられます。

第26回「いけにえの姫」

次の歌は、まひろ(紫式部)の夫である藤原宣孝が夫婦喧嘩の際に詠んだ一首です。

原文

たけからぬ ひとかずなみは わきかへり
みはらのいけてどかひなし
出典:『紫式部集』

現代語訳

立派でもなく人並みの私が腹を立てても仕方がないですね。

第27回「宿縁の命」

藤原道長の娘・彰子が一条天皇に入内する際、嫁入り道具として立派な屏風が用意されました。道長は屏風に描かれた絵に添える歌を公卿たちに詠むように依頼しました。この歌は、藤原公任が詠んだもので、「藤の咲きたる所」の絵に添えられました。歌の内容は、藤原氏の象徴である藤の花を、めでたい兆しを示す紫の雲にたとえ、道長の家系の繁栄を願うものでした。

原文

むらさきくもぞみゆる ふじはな
いかなる宿やどの しるしなるらむ
出典:『拾遺和歌集』藤原公任

現代語訳

まるで紫の雲のように藤の花が咲き誇っている。どのような吉兆がこの家に訪れる兆しなのだろうか。

第28回「一帝二后」

一条皇后の定子がいつも気遣ってくれる清少納言に感謝を表すために詠んだ歌です。

原文

みなひとはなちょうやと いそぐ
わがこころをば きみりける
出典:『枕草子』藤原定子

現代語訳

皆が花よ蝶よと流行を追うのに急ぐ日もあなただけは私の心を理解してくれるのですね。

一条皇后の定子が一条天皇に贈った辞世の句です。詳しくはこちらをご覧ください。

原文

もすがら ちぎりしことを わすれずは
こひなみだいろぞゆかしき
出典:『後拾遺和歌集』藤原定子

現代語訳

一晩中お約束してくださったことを忘れずにいてくださるなら、死んだ私を恋しく思って泣いてくださる涙の色を見たいと思います。

第30回「つながる言の葉」

次の歌は、藤原公任の妻・敏子が主催する和歌を学ぶ会でまひろが取り上げた紀貫之の一首です。紀貫之について詳しくはこちらをご参照ください。

原文

ひとはいさ こころらず ふるさとは
はなむかしにおける
出典:『古今和歌集』紀貫之

現代語訳

人の心は変わってしまうものですから、あなたの気持ちもわかりませんね。ふるさとでは、梅の花がかつてと同じように美しく咲き、香りを漂わせていますよ。

あかね(和泉式部)が蝉の鳴き声を聞いて、即興で詠んだ歌です。

原文

こえけば あつさぞまさる せみ
うすころもたれども
出典:『和泉式部集』

現代語訳

蝉の鳴き声を聞けば、ひとしお暑く感じられます。蝉の羽のように薄い衣を着たのだけれども。

子育てに戸惑うまひろ(紫式部)が思わずくちずさんだ歌です。この歌は紫式部の曾祖父・藤原兼輔の歌です。藤原兼輔について詳しくはこちらをご参照ください。

原文

ひとおやこころやみに あらねども
おもみちに まどひぬるかな
出典:『後撰和歌集』藤原兼輔

現代語訳

人の親の心は闇というものではないけれど、子を思う道は闇のように迷ってしまうものですよ。

第31回「月の下で」

『枕草子』について魅力を感じられなかったというあかね(和泉式部)。まひろからその理由を尋ねられると、『枕草子』は気が利いているけれども、人肌の温もりが感じられないと答え、次の歌を詠みました。和泉式部について詳しくはこちらをご参照ください。

原文

黒髪くろかみみだれもらず うちせば
まづかきやりし ひとこいしき
出典:『後拾遺和歌集』和泉式部

現代語訳

黒髪が乱れているのも気にも留めず、思い乱れて横たわっていると、かつて髪をかき分けてくれたあの人が恋しい。

第35回「中宮の涙」

敦道親王を亡くし、深い悲しみに沈んでいるあかね(和泉式部)が詠んだ歌です。和泉式部について詳しくはこちらをご参照ください。

原文

ものをのみ みだれてぞおもだれにかは
いまはなげ むばたまのすじ
出典:『和泉式部続集』和泉式部

現代語訳

もの思いばかりして、心が乱れ、黒髪も乱れ、この気持ちを誰に嘆いたらよいのでしょうか。

次の歌は、紫式部の弟である藤原惟規のぶのりが斎院(選子のぶこ内親王)の女房である斎院中将の元に忍び込んで捕らえられた際に詠まれました。この歌には、皇太子時代の天智天皇が自ら名乗ることを控え、相手に先に名乗らせたという故事が踏まえられており、その歌に心を打たれた斎院(選子のぶこ内親王)は、惟規を許しました。

原文

神垣かみがきまる殿どのに あらねども
のりをせねば ひととがめけり
出典:『今昔物語集』藤原惟規

現代語訳

斎院の垣根は、木の丸殿ではないのに、名乗らないと咎められてしまうのですね。

まひろが道長に『源氏物語』を見せる場面で、光源氏と藤壺が密通する物語の内容がまひろのナレーションで紹介されました。このナレーションは、『光源氏』の「若紫」の帖にある次の和歌が元になっています。

原文

てもまた まれなる ゆめのうちに
やがてまぎるる ともがな
出典:『光源氏』光源氏

現代語(ナレーション

こうしてお会いしても、またお会いできるとは限りません。夢の中にこのまま消えてしまう我が身でありたい。

原文

世語よがたりに ひとつたへむ たぐひなく
めぬ ゆめになしても
出典:『光源氏』藤壺

現代語(ナレーション

世の語り草として人は伝えるのではないでしょうか。類なく辛いこの身を、覚めない夢の中のこととしても。

第36回「待ち望まれた日」

中宮・彰子が皇子を出産した夜、藤式部(紫式部)が月を見ながら詠んだ歌です。

原文

めづらしき ひかりさしそふ さかずき
もちながらこそ 千代ちよもめぐらめ
出典:『後拾遺和歌集』紫式部

現代語訳

美しい月光が射し込む盃は、皆さんに持たれながら、望月のように欠けることなく、永く続くことでしょう。

ドラマでは、藤式部(紫式部)が「中宮様という月の光に皇子様という新しい光が加わった盃は、今宵の望月のすばらしさ そのままに千代もめぐり続けるでありましょう。」と歌の意味を説明していました。

敦成あつひら親王の五十日いか(生誕50日目に行われるお食い初めのような儀式)が行われた晩、藤式部(紫式部)は、宴の席で道長に歌を詠むように促され、次のように詠みました。

原文

いかにいかが かぞへやるべき 八千歳やちとせ
あまりひさしき きみ御代みよをば
出典:『紫式部日記』紫式部

現代語訳

いったいどのように数えたらよいでしょうか。八千代ほど長く続く親王様のお歳を。

藤式部(紫式部)の歌に対して、道長は次のように返歌しました。

原文

あしたづの よはひしあらば きみ
千歳ちとせかずかぞへとりてむ
出典:『紫式部日記』藤原道長

現代語訳

私に鶴のような寿命があれば、親王様の千歳の数も数えられるのだろう。

『光る君へ』に登場する
百人一首の歌人たち

2024年の大河ドラマ『光る君へ』。平安時代中期にスポットを当てたドラマの登場人物たちは和歌の名人が多く、百人一首に採られた歌人もいます。

清原元輔

元輔は58歳ごろに娘の清少納言をもうけています。受領階級の貴族で地方を転々とし、当時としては長寿で82歳ごろに亡くなっています。

清原元輔

清原元輔

契りきな
かたみに袖を
しぼりつつ
末の松山
波こさじとは

原文

ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ
すえ 松山まつやま なみこさじとは

現代語訳

約束しましたよね。
涙に濡れた着物の袖を絞りながら
末の松山を波が決して越えないように
私たちは変わらないと。

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右大将道綱母

蜻蛉日記の作者で藤原兼家の妻の一人

右大将道綱母

右大将道綱母

嘆きつつ
ひとり寝る夜の
明くる間は
いかに久しき
ものとかは知る

原文

なげきつつ ひとりくる
いかにひさしき ものとかは

現代語訳

あなたが来なくて
嘆きながら一人で寝る夜。
その夜を明かすまでの時間が
どれほど長いかわかりますか

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儀同三司母

藤原道隆の妻で、藤原伊周の母

儀同三司母

儀同三司母

忘れじの
ゆく末までは
かたければ
今日を限りの
命ともがな

原文

わすれじの ゆくすえまでは かたければ
今日きょう かぎりの いのちともがな

現代語訳

「ずっと忘れない」という言葉は
難しい約束でしょうから
その言葉を聞いた
今日限りの命だったらいいのにと
思ってしまいます

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大納言公任

道長を支えた四納言の一人

大納言公任

大納言公任

滝の音は
たえて久しく
なりぬれど
名こそ流れて
なほ聞こえけれ

原文

たきおとは たえてひさしく なりぬれど
こそながれて な こえけれ

現代語訳

滝の音が聞こえなくなってから
久しくなりますが
その名声は今も流れ
伝わっています

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紫式部

源氏物語の作者で彰子に仕えた女房

紫式部

紫式部

めぐり逢ひて
見しやそれとも
わかぬ間に
雲隠れにし
夜半の月かな

原文

めぐりしやそれとも わかぬ
雲隠くもがくれにし 夜半よわつき かな

現代語訳

久しぶりに会えたと思ったら、あなたはあっと言う間に帰ってしまわれた。雲間に隠れた夜半の月のように

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赤染衛門

源倫子、中宮・彰子に仕えた女房

赤染衛門

赤染衛門

やすらはで
寝なましものを
小夜更けて
かたぶくまでの
月を見しかな

原文

やすらなましものを 小夜さよ けて
かたぶくまでの つきしかな

現代語訳

あなたがおいでにならないと
わかっていたらためらわずに
寝ていたでしょうに。
お待ちするうちに夜が更けてしまい
西の空に傾こうとする月を
眺めてしまうことになったのだなあ

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清少納言

枕草子の作者で皇后・定子に仕えた女房

清少納言

清少納言

夜をこめて
鳥のそらねは
はかるとも
よに逢坂の
関は許さじ

原文

よるをこめて とりのそらねは はかるとも
よに逢坂おうさか せきゆるさじ

現代語訳

夜が明けないうちに
鶏の鳴き真似をして
人をだまそうとしても
この逢坂の関は
決して開きませんよ

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清少納言が仕えた定子のコラム「一条院皇后宮・定子の辞世の句」


三条院

三条院

三条院

心にも
あらで憂き世に
ながらへば
恋しかるべき
夜半の月かな

原文

こころにも あらでに ながら
こいしかるべき 夜半よわつき かな

現代語訳

別に生きたくもない
人生になってしまったが
生きながらえたら
この夜更けの月を恋しく
思い出すことだろう

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三条天皇のコラム「悲劇の三条天皇 悲しい歌が詠まれた背景」