時雨の百人一首

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中央官制(二官八省)

平安時代の中央官制は、国家の祭祀を担当する神祇官しんぎかんと国政を統括する太政官だじょうかんが天皇の下に並立し、太政官の下に八つの省が置かれる二官八省にかんはっしょうと呼ばれる体制をとっていました。

二官八省の図

二官

神祇官

神祇官は、国家の祭祀を司ったり、全国の神官を管理する役所でした。上図では、神祇官と太政官は天皇の下に並列に描かれています。律令制度上も両者は並立する機関とされていましたが、実際の政治運営では太政官の影響力が大きかったと考えられています。

太政官

太政官は、現代の「三権分立」とは異なり、行政・立法・司法の全権限を束ねて国家運営を司る中枢でした。

大臣・大納言だいなごん中納言ちゅうなごん参議さんぎたちが陣定じんのさだめと呼ばれる政策会議を開き、国家の方針を合議し、決定しました。

少納言しょうなごんは、かつては天皇の側近でしたが、嵯峨天皇が810年に「蔵人所くろうどどころ」が設置されると、天皇の側近としての役割の多くは蔵人に移り、少納言の職務は天皇の印鑑や駅鈴えきれいの管理などに限られるようになりました。

左右の弁官局べんかんきょくが司令塔となり、太政官の決定事項を具体的な命令として八省へ伝達しました。

また、律令に規定のない官職である令外官として、内大臣などが政治の中枢に加わりました。また中納言・参議などの新しい官職も次第に重要な役割を担うようになりました。さらに、准大臣(儀同三司)のように、大臣ではない人物に大臣と同等の待遇を与える称号も用いられることがありました。

下表は太政官の四等官制です。

階級 官職
長官かみ 太政大臣だじょうだいじん左大臣さだいじん右大臣うだいじん内大臣ないだいじん
次官すけ 大納言だいなごん中納言ちゅうなごん参議さんぎ 宰相 さいしょう
判官じょう 少納言しょうなごん左右弁官さゆうべんかん(大>中>少)
主典さかん 外記げき(大・少) ・ 左右史さゆうし(大・少)

太政大臣は「則闕そっけつかん」とも呼ばれ、適任者がいない場合は欠員になりました。
名誉的な地位に近い役割で、空席でも問題なかったようです。

権大納言のように頭に「権」が付くのは、定員を超えて任官された者です。


太政官と諸官司の構造

太政官の配下にある組織

太政官は、すべての「省」を束ねる最高機関で、現代の内閣・国会・最高裁判所の機能を併せ持ったような存在でした。

しょう」は、現代の各省庁に相当します。

その配下にある「しき」と「りょう 」を比べると、「職」の方が組織規模が大きく、格上とされていました。平安時代では、皇后を支える「中宮職ちゅうぐうしき 」や、都の行政・司法を担う「京職きょうしき」などが置かれ、特に重要視されました。

一方、「つかさ 」は職や寮よりもさらに限定された専門実務を担う最小単位の組織でした。司の多くは寮の配下に置かれましたが、天皇に近い部署は、規模が小さくても「司」として独立し、寮を介さず省から直接指揮を受けました。

こうした標準的な「省ー寮ー司」のピラミッド構造とは別に、軍事・外交・皇室警護に関わる組織には「げん」という格付け組織が存在しました。規模や重要度において「職」と「寮」の中間に位置する独立性の高い機関でしたが、平安時代初期に「舎人監とねりげん 」が「大舎人寮おおとねりりょう」へ統合され、「内舎人監うどねりげん 」が中務省の直轄となったことで、中央政府からは姿を消し、以降は主に、九州の外交・軍事を担う大宰府だざいふの実務幹部を指す大監だいげん少監しょうげん」という官職名としてその名をとどめました。

摂政・関白・内覧

摂政・関白は天皇の代行・補佐として二官八省を統括し、内覧はその補佐役として政務や書類の取り次ぎを担当しました。

摂政

天皇が幼少の場合に、天皇に代わって政治を行う役職です。
二官八省の行政を指揮しました。

関白

成人した天皇でも政治を補佐する役職です。
摂政と同じく二官八省の行政を指揮しました。

内覧

天皇への奏上や詔勅を先に確認することができ、二官八省の運営にも直接関与しました。


八省

中務省

この図は、中務寮の傘下組織を表したものです。中務省の「中」は禁中きんちゅう を表し、務は「政務」を表しています。中務省は天皇のすぐ側にあり、国の重要なルールや人事を司る機関で、太政官の配下にある八省の中でもっとも重要な存在でした。

名称 役割
太皇太后宮職たいこうたいごうぐうしき 天皇の祖母に仕え、その生活や事務全般を支える。
皇太后宮職こうたいごうぐうしき 皇太后(先代の皇后、天皇の母など)仕え、その生活や事務全般を支える。
皇后宮職こうごうぐうしき 皇后(天皇の正妻)に仕え、その生活や事務全般を支える。
中宮職ちゅうぐうしき 中宮(天皇の正妻)に仕え、その生活や事務全般を支える。
大舎人寮おおとねりりょう 宮中警護・雑務の担当。天皇の身辺で警護や儀式の行列に加わる。
図書寮ずしょりょう 書籍・仏像の管理。図書の収集・保管や、写経、紙・墨の製作も担う。
内蔵寮くらりょう 天皇の私財管理。献上物や御料物の収蔵・出納を司る「天皇の財布」。
縫殿寮ぬいどのりょう 衣服・裁縫の担当。天皇の衣服の製作や、女官の人事管理も行う。
陰陽寮おんようりょう 天文・暦・占いの担当。吉凶の判断や時刻の測定、暦の作成を行う。
内匠寮たくみりょう 工芸・装飾の担当。宮中の器物製作や儀式の設営、建物の装飾を担う。

式部省

この図は、式部省の傘下組織を表したものです。式部省は、大学寮の管理や文官の人事考課や叙位を行っていました。また、散位寮(位階だけあって、職のない文武官を管理する機関)も管理していました。

名称 役割
大学寮だいがくりょう 大学寮は、国立の大学で官僚の養成を担いました。
散位寮さんにりょう 散位寮は、位階を持ちながら具体的な職務に就いていない者の名簿を作成・管理する機関でした。他の役所からの要請に応じて人員を派遣したほか、その勤怠管理も担っていました。これは唐にはない日本独自の組織でした。896年の行政整理により式部省へ吸収・統合され、寮ではなくなり、式部省という大きな組織の中の一部署として組み込まれました。

大学寮の学科

大学寮では紀伝道(中国史・漢文学)、明経道(儒学)、明法道(法学)、算道(算術)の4つの専門学科がありました。平安時代においては紀伝道が主流になりました。

紀伝道の階級
階級 定義
文章博士もんじょうはかせ 大学寮の紀伝道(漢詩文中国の歴史を学ぶ学科)の教官
文章得業生もんじょうとくごうしょう 文章生から優秀者2名が選出される特待生
文章生もんじょうしょう 擬文章生からさらなる試験に及第した学生
擬文章生ぎもんじょうしょう 大学寮と呼ばれる律令制のもとで作られた式部省が直轄する官僚育成機関で寮試と呼ばれる試験に及第した学生
明経道の階級
階級 定義
明経博士みょうぎょうはかせ 大学寮の経書(儒教でとくに重視される文献)の教官1名。
中原氏と清原氏が代々、大外記となって任じられた。
助教じょきょう 明経博士を支え教官2名
直講ちょっこう 明経博士と助教を支える教官2名
明経得業生みょうぎょうとくぎょうしょう 明経生から2名選出される特待生
明経生みょうぎょうしょう 明経道を学ぶ学生
明法道の階級
階級 定義
明法博士みょうほうはかせ 大学寮の法学の教官2名。
明法特業生みょうほうとくぎょうしょう 明法生から2名選出される特待生
明法生みょうほうしょう 法学を学ぶ学生
算道の階級
階級 定義
算博士さんはかせ 大学寮の算術の教官2名
算特業生さんとくぎょうしょう 算生から2名選出される特待生
算生さんしょう 算術を学ぶ学生
音道

音道は独立した学科ではなく、大学寮(特に紀伝道と明経道)で学ぶ学生の基礎的なスキルを身につける学科でした。

階級 定義
音博士おんはかせ 大学寮で中国語の発音を教える教官2名
音生おんしょう 大学寮で中国語の発音を学ぶ学生
書道

書道は独立した学科ではなく、大学寮(特に紀伝道と明経道)で学ぶ学生の基礎的なスキルを身につける学科でした。

階級 定義
書博士しょはかせ 大学寮で書道を教える教官2名
音生おんしょう 大学寮で書道を学ぶ学生

治部省

この図は、治部省の傘下組織を表したものです。治部省は、宮中の儀式や外交事務、僧尼の管理を幅広く担っていました。傘下には、宮廷音楽や舞踊を司る雅楽寮、僧尼の管理や外交使節の接待を担う玄蕃寮、そして天皇・皇族の墓所を管理する諸陵寮(もとは諸陵司)などが置かれていました。

名称 役割
雅楽寮うたりょう 雅楽寮は、宮廷における音楽、舞踊、およびそれに関わる教育を行っていました。
玄蕃寮げんばりょう 玄蕃寮は、僧尼の管理と外交使節の接待を行っていました。平安時代には鴻臚館こうろかん と呼ばれる海外交易の施設が京都、大阪、福岡に置かれており、新羅や渤海からの使節をもてなしました。
諸陵寮しょりょうりょう 諸陵寮は、皇族の陵墓りょうぼの管理、皇族葬儀の儀礼などを行っていました。もともとは、諸陵司しょりょうし という小規模な組織でしたが、嵯峨天皇の御代に皇室の権威を象徴する儀礼や陵墓管理をより格式高いものにするため、「寮」へと昇格したと言われています。

民部省

この図は、民部省の傘下組織を表したものです。民部省は、国の基盤となる「財政」と「戸籍」を一手に司っていました。現代で例えるなら、財務省と総務省を合わせたような強大な権限を持つ省でした。よくある誤解として、大蔵省が税の徴収を行っていたと思われがちですが、戸籍を管理し税を取り立てるのは民部省の仕事です。対する大蔵省は、その名の通り「蔵」の番人でした。民部省が全国から集めてきた物品や宝物を大切に保管し、その出納を管理することが主務でした。

名称 役割
主計寮かずえりょう 主計寮は、「国家予算の編成」と「税収の計算」を一手に担う実務機関でした。主に都に直接運ばれる地域の特産品である「調」がどれだけ入ってきて、どのように使うか(宮中の儀式、役人の給与、各省への予算配分)を決めていました。
主税寮ちからりょう 主税寮は、地方に備蓄される稲である「」の管理と、地方財政の監査を担っていました。律令時代の行政単位には、国と郡があり、国衙こくが 郡衙ぐんがには「正倉しょうそう 」と呼ばれる金庫がありました。奈良の東大寺にある「正倉院」は、お寺の倉庫群で、そのうち唯一現代まで残った一棟として世界的に知られています。主税寮が管理していたものではありませんが、建物の造りは同じだったと考えられます。

兵部省

この図は、兵部省の傘下組織を表したものです。兵部省は、軍事と国防の総司令部で、現代の防衛省にあたります。その業務は幅広く、南九州の大隅半島、薩摩半島付近に住んでいた武勇に優れた「隼人はやと 」の人々を管理し、都の警護や儀式の演舞(隼人舞)に従事させました。また、外国からの襲撃に備え、昼は煙、夜は火を上げてリレー形式で情報を伝える超高速通信ネットワーク「 とぶひ」の維持管理も担当していました。さらに、全国各地に「まき」と呼ばれる国営の軍馬育成牧場を設置し、軍馬や駅馬を育成していました。

名称 役割
隼人司はやとし 隼人司は、南九州の大隅半島、薩摩半島付近に住んでいた武勇に優れた「隼人はやと」の人々を管理・統括しました。

刑部省ぎょうぶしょう

この図は、刑部省の傘下組織を表したものです。刑部省は、司法の最高機関として、法律(律令)に照らして罪の重さを決める「裁判」と、判決に基づく刑の執行を統括しました。科される刑罰は、重さに応じて次の5種類に分かれています。

細い竹の鞭で、背中や臀部を叩く刑。回数は10回〜50回までの5段階。
じょう
笞よりも太い杖で背中や臀部を叩く刑。回数は60回〜100回までの5段階。
一定期間(1年〜3年)、役所などで強制労働をさせられる刑。
故郷から遠く離れた土地へ強制的に移住させられます。距離によって「近流・中流・遠流」の3段階。
最高刑である「死刑」です。絞首刑(絞)と斬首刑(斬)の2種類。
名称 役割
囚獄司しゅうごくし 刑部省の配下にある囚獄司しゅごくしは、現代の刑務所にあたる獄舎ごくしゃの管理を専門とする役所でした。

刑部省は、法律に則って罪状を照らし合わせ、審理しましたが、重大な刑罰や、法律の解釈が分かれる複雑な訴訟については、刑部省の審判結果をふまえ、太政官が最終的な裁定を下しました。

平安時代中期以降、治安維持の専門職である検非違使けびいし が台頭します。検非違使が犯人の逮捕から裁判、さらには獄舎の管理までを一括して行うようになると、刑部省と囚獄司は実務の場を失い、組織として形骸化していきました。


大蔵省おおくらしょう

大蔵省は、民部省が諸国から集めてきた調(布や各地の産物などの品々)や金銀、銭貨を厳重に預かり、品々の良し悪しを見極め、一分の狂いもなく蔵に納める「国家の蔵」の役割を担いました。

名称 役割
織部司おりべのつかさ 大蔵省の配下にある織部司おりべのつかさ は、単に蓄えるだけでなく「新たな価値を生み出す」部署でした。各地から納められた糸や布を材料に、当時最高峰の技を持った職人たちが、錦や綾といった至高の織物をはじめ、織染の技術を駆使して、高級織物を生産しました。

宮内省くないしょう

この図は、宮内省の傘下組織を表したものです。宮内省は、天皇の衣食住から医療、宮殿の管理まで、宮廷運営の要となる役所でした。

名称 役割
大膳職だいぜんしき 客人を招いた饗宴や、儀式用の大規模な食事の調理を担当。
内膳司ないぜんし 天皇が日常召し上がる食事の調理と、毒見などの安全管理を担当。
大炊寮おおいりょう 主食となる米や、煮炊きに使う穀物の管理・供給を担当。
造酒司みきのつかさ 宮中で使用する酒や酢、お粥などの醸造を管理。
主水司もいとりのつかさ 飲料水や製氷・氷室ひむろの管理、およびお供えする水の調達を担当。
木工寮もくりょう 宮殿の造営や修理、木製の家具や道具の製作を行う建築・工芸の専門部署。
主殿寮とのもりょう 宮中の清掃、照明用の灯火、薪炭、お風呂などを管理。
掃部寮かもんりょう 宮中の畳の敷設や簾などを管理したり、儀式会場の設営、清掃を担当。
典薬寮てんやくりょう 宮中の医療や薬の調達、および医師や針師などの育成を行う医療機関。
采女司うねめのつかさ 諸国から献上された采女(天皇の身の回りの世話をする女官)の管理・教育を担当。

八省の配下にない大寮

律令制における行政の基本は「二官八省」ですが、馬寮や兵庫寮といった組織は、国家の武力や儀仗を司る要職として、太政官の直接的な統制下に置かれていました。

馬寮まりょう

馬寮は、八省のどこにも属さず、太政官の直属する独立性の高い組織でした。
官馬の飼養・調習や馬具、諸国の牧を管理していました。
左馬寮さまりょう右馬寮うまりょうというように左右に分かれていました。


兵庫寮ひょうごりょう

兵庫寮は、八省のどこにも属さず、太政官の直属する独立性の高い組織でした。
兵器や儀仗の維持管理を行いました。

官位相当表

下表は二官八省の官職と位階を表したものです。官職は位階(官人の序列を示す等級)に応じて任官される「官位かんい相当そうとう せい」という仕組みが採用されていたため、官人にとって位階は重要でした。

位階 二官 八省
位階 神祇官 太政官 中務省 式部省、治部省、
民部省、兵部省、
大蔵省、宮内省
刑部省
正一位しょういちい 太政大臣
従一位じゅいちい
正二位しょうにい 左大臣
右大臣
内大臣
従二位じゅにい
正三位しょうさんみ 大納言
従三位じゅさんみ 中納言
権中納言
正四位しょうしい じょう
正四位しょうしい 参議(宰相)
従四位じゅしい じょう 大弁
従四位じゅしい
正五位しょうごい じょう 左中弁
右中弁
大輔
正五位しょうごい 左小弁
右小弁
大輔 大輔
大判事
従五位じゅごい じょう 少輔
従五位じゅごい 大副 少納言 侍従
大監物
少輔 少輔
正六位しょうろくい じょう 少副 左弁大史
右弁大史
大内記
正六位しょうろくい 少祐 大丞 大丞 大丞
中判事
従六位じゅろくい じょう 大祐 少丞
中監物
少丞 少丞
従六位じゅろくい 少判事
正七位しょうしちい じょう 大外記
左弁少史
右弁少史
大録
中内記
大録 大録
正七位しょうしちい 少監物
大主鈴
判事大属
従七位じゅしちい じょう 少外記
従七位じゅしちい 大典鑰 大解部
正八位しょうはちい じょう 少録
少内記
少主鈴
少録 少録
正八位しょうはちい 大史 判事少属
中解部
従八位じゅはちい じょう 少史 少典鑰
従八位じゅはちい 少解部
大初位だいそい じょう
大初位だいそい
少初位しょうそい じょう
少初位しょうそい

位階が五位以上を貴族、三位以上と参議(宰相)は公卿くぎょう上達部かんだちめ と呼ばれました。六位以下は貴族ではなく、地下人じげびとと呼ばれました。地下人は「じげにん」と読まれることもあります。

位階のしくみ・八色の姓についての詳細は、別ページ「位階いかい八色やくさかばね」で解説しています。

補足:四等官について

どの役所にも、基本的に「かみ・すけ・じょう・さかん」という4つの階級の役職が置かれていました。現代の組織にたとえるなら、「社長・部長・課長・係長」のような構成です。

ただし、例外もあります。九州の軍事や外交を担った大宰府や、皇室警護などの軍事を担う近衛府では、第3等官(判官)の名称に「じょう」ではなく「げん」が用いられていました。近衛府では「将監しょうげん」などの役職名がこれにあたります。

また、第4等官(主典)についても、大宰府の「大典だいてん少典しょうてん」や、近衛府の「将曹しょうそう」のように、通常の「さかん」とは異なる名称が使われていました。これは、軍事や外交といった専門的な任務を担う組織では、一般の役所とは異なる伝統的な役職名が残されていたためと考えられます。

種類 長官かみ 次官すけ 判官じょう 主典さかん
神祇官 はく 大副たいふ少副しょうふ 大祐だいじょう少佑しょうじょう 大史だいし少史しょうし
きょう 大輔たいふ少輔しょう 大丞たいじょう少丞しょうじょう 大録だいさかん少録しょうさかん
大夫だいぶ すけ 大進たいじょう少進しょうじょう 大属だいさかん少属しょうさかん
かみ すけ 大允たいじょう少允しょうじょう 大属だいさかん少属しょうさかん

補足:史生について

四等官という管理職の下には、実際に公文書の作成や事務を担う「史生ししょう 」と呼ばれる下級役人が配置されていました。現代の組織でいえば、事務を専門に担う「書記官」や「実務スタッフ」にあたる存在で、膨大な書類仕事が中心だった当時の役所運営を現場で支えていました。

史生は歴史小説や時代劇にもよく登場し、官人としての地位は高くありませんが、実務に精通した役人として描かれることが多い役職です。

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